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若き日の青山敏弘がぶち当たったプロの壁 ミシャとの出会い、そして生涯忘れることのない悔しさ (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【引退を受け止めるのに時間はかかった】

 もっとも青山は、その時点で引退を考えていたわけではない。だからといって、移籍してまで現役を続ける、という選択肢はなかった。

「この1年で活躍して、また契約をもらう。クラブの判断を覆す活躍をするっていうことだけ。だから、足立さんにそう言われたことは、逆に覚悟になりました」

 引退か、現役続行か──。青山は並々ならぬ覚悟で、2024年をスタートさせた。

 しかし、その想いとは裏腹に、試合に絡めない日々が続く。そしてシーズンも差し迫った10月に新しい強化部長との話し合いが行なわれ、再度、契約満了を告げられる。この時、青山は引退を決めた。

「ほぼ、決まっていたことなので。ただ、受け止めるのに時間はかかった。1週間くらいかな。現実に向き合って、お世話になった方々に挨拶をして、それからクラブに引退を伝えました。ある程度、覚悟はしていたけど、気持ちの整理はなかなかつかなかったですね」

 そして10月20日、青山の引退がクラブから正式にリリースされた。

 青山が広島に加入したのは、2004年のことだった。高校を卒業したばかりの18歳は、早々にプロの壁にぶち当たった。

「何をすればいいか、本当にわからなかった。どうやれば試合に出られるのか。何をクリアすれば試合に出られるのか。その基準がまったくわからなかったから」

 ボランチを主戦場とする青山だが、当時は右ウイングバックでのプレーも求められた。プロ初出場となったリーグカップでも、そのポジションで起用されている。その試合でゴールを決める活躍を見せたものの、何を求められているのか理解できないでいた。

「右サイドからフォワードにクサビを入れる練習をよくしていましたね。そこで前を見るイメージができてきたっていうのはあった。その後にトップ下でも試されて、そこで裏に走ったり、前から守備をしたりっていうのがだんだんできるようになった。体力的にもプロのレベルに慣れてきたのもあって、途中からはちょっとずつ可能性が見えてきたんだけど......」

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