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若き日の青山敏弘がぶち当たったプロの壁 ミシャとの出会い、そして生涯忘れることのない悔しさ (5ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【反町監督を別に恨んではいない】

 メンバー発表の日、青山は大阪から広島に向かう新幹線のなかで、落選の報を受けた。呆然とした青山は地元の岡山駅で下車すると、抜け殻のように1時間以上もホームのベンチに座り続けた。

「自分自身はいいですよ。やっぱり、家族が期待してくれていたので。予選も東京まで応援しに来てくれていたし、そういう期待に応えられなかった自分の力のなさが、本当に情けなかった。

 すべてをかけてやっていたし、チームもJ2に落ちてしまった。今までやってきたことは、全部なんだったんだろうって。

 まだ21歳の青年が、国もそうだし、クラブのためにも張り詰めた状態でやってきたのに、それでも叶わなかった。本当に大きなものだったから、それをすべて失ったという感覚でしたね」

 それでも、北京五輪代表を率いた反町康治監督には感謝しているという。

「別に恨んでいないし、ソリさんがクラブの監督(湘南ベルマーレ、松本山雅FC)になってからは、試合で会えば必ず挨拶に行っていました。もちろん選ばれなかったのは悔しかったですけど、その分、返しましたから。ほとんど負けなかったんじゃないかな、ソリさんのチームには」

(つづく)

◆青山敏弘・中編>>長谷部誠に「もっと落ち着いてプレーできるだろ」と指摘された


【profile】
青山敏弘(あおやま・としひろ)
1986年2月22日生まれ、岡山県倉敷市出身。2004年に作陽高校からサンフレッチェ広島に入団。2006年から主力としてボランチでチームを統率し、2013年には日本代表デビューを果たす。広島を3度優勝に導き、2015年にはJリーグMVPを受賞した。2024年に現役引退を発表し2025シーズンより広島のトップチームコーチに就任する。日本代表歴=12試合1得点。ポジション=MF。身長173cm、体重74kg。

著者プロフィール

  • 原山裕平

    原山裕平 (はらやま・ゆうへい)

    スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。

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