サッカー日本代表のエリート守護神・大迫敬介が味わった挫折「移籍しようとも考えた」 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【下田GKコーチと徹底的に練習した日々】

── 経験が求められるゴールキーパーというポジション柄、若手が試合に出られないことはある意味でしょうがないと受け入れてしまうことはなかったですか。

「当時はチームが優勝争いをしていましたし、(林)卓人さんのパフォーマンスもすごくよかったので、入る隙がないなっていうのは感じていました。でも、それを受け入れることはなかったですし、食らいついていくためにも、必死に練習していましたね」

── その状況を打破するために、最も力を注いだことは何ですか。

「シュートストップですね。当時は2部練があったんですけど、午前の練習が終わってから自主練を1時間くらいやって、午後の練習が終わったあとに、そのまま夕方のユースの練習にも参加していました。キーパーコーチの下田(崇)さん(現・日本代表GKコーチ)が熱心に付き合ってくれて、シュートストップを徹底的に練習しましたね」

── その努力が報われ、実質プロ2年目のシーズン初戦のACLプレーオフでデビューを果たしました。あの試合を振り返ると?

「心境的な部分はあまり覚えてないんですけど、負ければACLの本戦に出られない重要な試合だったので、とにかく無失点に抑えることだけを意識していたと思います。運もあって巡ってきたチャンスだったので、やっと来たかという想いと、結果を出さないといけないという両方の気持ちがありました」

── PK戦の末に勝利を収めたデビュー戦を経て、その年はレギュラーの座をモノにしました。ところが翌2020年は林選手とのポジション争いに敗れ、シーズン後半にレギュラーの座を失ってしまいます。当時の心境は?

「あの時はオリンピックも控えていたので、出場機会を求めて移籍しようとも考えていました。 でも、今となってはあそこで逃げなかったことで、成長できた部分もあると思っています。現状を打破するために努力した経験は今後、同じようなことが起きた時にも絶対に生きると思っていますから」

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