サッカー日本代表のエリート守護神・大迫敬介が味わった挫折「移籍しようとも考えた」 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei

【試合にも絡めず焦っていたプロ1年目】

── あまり強くないチームからプロの下部組織に入ったというケースは、なかなかの快挙だと思いますが。

「今でこそ鹿児島には鹿児島ユナイテッドFCがありますけど、僕が中学生の時は地元にJクラブはなかったので、プロクラブのアカデミーに入ることがどれだけすごいことなのかは、あまり理解していなかったかもしれません。でも『サンフレッチェ広島』っていう田舎者の僕が聞いてもわかるようなクラブのユースに入れるのは、本当に喜びでしたし、楽しみという思いが強かったですね」

── 育成に定評のある広島ユースでの3年間では、何を学んだのでしょうか。

「僕は本当に『プロになること』しか考えてなかったので、この3年間はひとつの後悔もないように生活しようと決めていました。振り返ると、私生活も含めて、本当にすべての時間をサッカーに捧げてきたという自負があります。大変な毎日でしたけど、今となってはすべてをかけて、あそこまでがんばってよかったなと思っています」

── その努力が実り、高校3年生の時にプロ契約を勝ち取りました。その時の心境は?

「やっぱり、ずっと目指していたところなので純粋にうれしかったですし、ホッとした気持ちもありました。本当にプロになることしか考えていなかったし、ほかの未来は見えていませんでしたから」

── もっともプロ1年目は、試合に出ることが出きませんでした。プロの壁を感じることはありましたか。

「僕は高3の時にプロ契約をしました。それを1年目とすると、ふだんはトップで練習して、週末はユースでプレミアリーグの試合に出ていたので、まだ試合ができる環境ではあったんです。

 でも、高校を卒業して一般的なプロ1年目になると、練習のゲームにも入れないし、練習試合にもほとんど絡めない。ほかのクラブの同い年の選手たちは、カテゴリーは違っても、試合にどんどん出て活躍していたので、焦りはありましたよ。

 ただ、チームでは試合に出られなくても、東京オリンピックという目標があったので、それをひとつのモチベーションにしながら日々の練習に取り組んでいました」

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