元なでしこジャパン・岩渕真奈が語る引退後の変化「結婚への欲は現役時代よりもなくなった」 (3ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

――これだけガラリと環境が変わると、恋愛感や結婚感みたいなものも変化したのではないですか。

岩渕 今、甥っ子が1歳ちょっとなんですけど、カワイイんですよ! でも、その甥っ子と触れ合うようになって、「子どもは大変だぞ」って、そっち側(の気持ちに)に走っちゃって......。カワイイんですけど、これが毎日一緒だったら......って考えたら、自分には無理だなぁ~って。

 なんか、結婚への欲は現役時代よりもなくなった気がします(笑)。現役時代は、結婚したいから「何歳になったらサッカーをやめよう」とか思う時期もあったんですけどね。

――引退会見のときに、女子レスリングのリオデジャネイロ五輪金メダリスト(48kg級)の登坂絵莉さん、プロテニスプレーヤーの穂積絵莉さんと、障がい者スポーツに関わる一般社団法人を立ち上げるといったお話をされていました。この活動のきっかけは何だったのでしょうか。

岩渕 登坂絵莉とはリハビリで通っていたJISS(国立スポーツ科学センター)で出会って、それをきっかけにして仲よくなりました。穂積絵莉は登坂絵莉と名前が同じで、珍しい漢字なのにそれも一緒で、しかも同世代のスポーツ選手ということで「すごい!」となって、ふたりはつながっていて、そこに(私も)紹介してもらった、という感じです。

(社団法人の話は)最初、登坂絵莉がこの話をしてきて、素敵なことだなと思って、すぐに賛同しました。

――岩渕さんは小学校時代、自閉症の生徒さんと触れ合う経験があったと聞いています。

岩渕 そうなんです。小さい頃から触れ合ってきていたので、自分自身に偏見というものがなく、これまでずっと過ごしてきたんです。

 だから現役時代には、ブラインドサッカーをはじめ、脳性麻痺の障がいがある方とか、デフサッカー(聴覚障がい者のサッカー)の代表チームのユニフォームが、自分たちと違うことに気づいて「何でなんだろう?」って思っていました。「サッカーファミリー」と謳うなら、「みんな同じユニフォームになればいいのに」って、小さな疑問を持っていたりもしました。

 そして今、そういうのを解消できるお手伝いができたらいいな、と。自分たちだから何かできることがあるんじゃないか、と登坂絵莉とふたりでそこに行きついて、穂積絵莉を誘ったら、彼女もすぐに賛同してくれました。

――それぞれの競技で、3人は同じような想いを抱いていたんですね。

岩渕 そうだと思います。ただ、ふたりの絵莉は個人競技で、勝つことがすべてというか。登坂絵莉の場合は、オリンピックに行けるのも(ひとつの階級で)ひとりだけ。穂積絵莉はまた、個人で海外を転戦している。翻(ひるがえ)って、サッカーはチームスポーツ。それぞれ(競技においては)目線が違って、3人で話をしていると、まあ(話が)かみ合わない(笑)。

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