岩渕真奈が30歳で引退を決断したワケ アーセナルからトッテナムに移籍する時に思ったこと

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

web Sportiva×BAILA special collaboration
feat. 岩渕真奈(元なでしこジャパン)中編

 女性向けメディア『BAILA』とのコラボ企画の中編(@BAILAでも異なる内容のインタビュー記事を配信)。女性誌で活躍中のヘア&メイクアップアーティスト、スタイリスト、カメラマンが撮影を担当した。

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前編◆元なでしこジャパン・岩渕真奈が語る引退後の変化>>

撮影中、爽やかな笑顔を見せる岩渕さん photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)撮影中、爽やかな笑顔を見せる岩渕さん photo by Sannomiya Motofumi(TRIVAL)この記事に関連する写真を見る「リトルマナ」として、15歳で世界にその存在が知れ渡った岩渕真奈。その後も"飛び級"で各世代別の代表で活躍し、なでしこジャパンにも16歳で招集された。

 2011年、女子ワールドカップで世界一に輝き、翌年のロンドン五輪では日本女子サッカー史上初の銀メダルを獲得した。大きなうねりのなかで、岩渕はどのようなことを考えていたのだろうか――。

――あまりにも早く注目されすぎたサッカー人生のスタート。ひょっとして、純粋にチャレンジを楽しめたのは、U-17女子ワールドカップの時だったりしますか。

岩渕真奈(以下、岩渕)言われてみたら、本当にそうかもしれないです。15歳のときに出場した(U-17)ワールドカップは、マックスで楽しかった!(その際に)MVPをいただいたがゆえに、(そこから)いろんな目を向けられたっていうのはあるかもしれないですけど、当時はそこまで深く考えてなかったですね。

 ただ、2011年の女子ワールドカップのときは、もうプレッシャーが凄まじくて、取材拒否してしまう、ということがありましたけど......。

――"プチ反抗期"のときですね(笑)。

岩渕 そう、あの"プチ反抗期"(苦笑)。今振り返ってみると、あのときの自分の言葉が一切残っていなくて、もったいないというか、残念なことをしているなって思うんですけど、当時はいっぱいいっぱいで......。自分にとっては、必要なことでした。実際、あそこでサッカーときちんと向き合えたことで、翌年のロンドン五輪にも行けたと思っているんです。

 もうほんと、当時のメディアの方々からすれば『よく言うわ』って感じだと思うんですけど......。あのときは、ほんと、すみませんでした(苦笑)。

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