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岩渕真奈が30歳で引退を決断したワケ アーセナルからトッテナムに移籍する時に思ったこと (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文 text by Hayakusa Noriko

――特に世界一になったあとは、岩渕さんだけでなく、他の選手のみなさんも、メディア対応には苦労されていたようでした。ともあれ、そうした過程を経て、2016年リオデジャネイロ五輪出場を逃したあと、なでしこジャパンは高倉麻子監督率いるチームへ。そこで、岩渕さんは「もうチームを引っ張っていく存在なんだぞ!」的な感じで、チーム内での地位や役割がグイッと引き上げられたじゃないですか。それまではずっとチームの最年少だった岩渕さんにとって、その感覚はすぐにフィットできましたか。

岩渕 高倉さん体制になった当初は、全員が競争だと思っていたので、自分がチームを引っ張っていく、なんてことは思っていませんでしたけど、そういった状況のなかでも、自信は持ちながらやっていました。でも、試合で使ってもらえないときとか、「態度が悪い」って言われたこともありましたね。

 だから、(チームの中心としての)自覚ってなるといつ頃だろう......? でも、2018年の女子アジアカップで優勝できたことは(自らが自覚を持つ)ひとつの、すごく大きなきっかけになったかもしれないです。

――あのときは、間違いなくチームをけん引していました。新体制下では、熊谷紗希選手が若いながらもキャプテンを引き継いで、それをベテラン勢が脇から支えている感じのなか、岩渕さんも下の世代といろいろと話して、コミュニケーションを取っていましたよね。

岩渕 それは、結構言われます。「意外に下の世代ともイケるんだね」みたいなこととか言われたりして。こう見えて、上下関係なく打ち解けられるし、(年下に対しては)面倒見がいいんですよ(笑)。

――昨年の引退会見の際、印象に残るゴールについては、2015年女子ワールドカップ準々決勝(vsオーストラリア)の決勝弾を挙げていました。

岩渕 ロンドン五輪決勝で決定機を逃したことがあったから、というのもありますが、(理由は)それだけじゃなくて。なぜ印象に残っているかというと、あのとき、ケガをしているのに代表に選んでもらって(ワールドカップにも)連れていってもらったんですよね。それで、佐々木則夫監督体制の先輩たちに、初めて結果で貢献できたって思えたのが、あのゴールだったからなんです。

――87分に決めた値千金のゴールでした。でも確かに、世界大会では常にケガを抱えながら戦ってきたイメージがあります。フィジカル、メンタル、経験値すべてを含めて万全で、充実感にあふれたシーズンはありましたか。

岩渕 ない、ない! 常に(どこか)痛かった(笑)。なんだかんだで、大きい大会のときにはいつもケガがつきまとっていたし......。

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