川澄奈穂美「女性が安心して働ける社会を」 理事抜擢の理由は「私は思ったことを言っちゃうタイプ」だから (4ページ目)
【男子の当たり前が女子でも当たり前になるように】
どの立場でも、揺るがない芯がある。「女子サッカーの未来のために」という思いだ。
「それしかないですね(笑)。それはやっぱり、先輩方がいろいろとつないできてくださったものがあって。自分たちが代表で優勝という結果を出せたのは2011年ですけど、その前から先輩方が築き上げてくださったものがあって、それが実ったのがあのワールドカップで。
川澄奈穂美が見据える女子サッカーの未来とは? photo by Sano Mikiこの記事に関連する写真を見る 先輩方がどんな思いで女子サッカーを成長させてきたのかを、もっともっといろいろな人に知ってもらいたいですし、今の代表選手にはそれを知ったうえで闘ってほしい。なでしこジャパンがビジネスクラスで移動できるようになったのは、すばらしいことだと思いますし、でも、まだそうじゃないときもあるんですよ。
男子の当たり前が女子でも当たり前になるように、今の代表選手たちにもいろんな意味で闘ってほしいですし、まだまだやるべきことはピッチ内外でたくさんあります。JFAの理事になったのも、いろいろな人と話しながら、現場の声を届けたいと思ったことが大きかったですし」
川澄の言葉に、力がこもっていく。ひとつひとつの言葉が、熱を帯びていく。
「みっともないことはできません。まずは私自身がプロ選手としての責任と覚悟を見せる、と思って、日々の練習から取り組んでいます」
日本の女子サッカーが成長を止めないために。次代の女子選手たちによりよい環境を提供するために。女子サッカーのコンテンツ力を高めていくために──。
川澄は自ら経験してきたことをアルビで実践し、周囲に伝え、ピッチでのプレーに情熱を注ぎ、JFA理事の立場でも発信をしていく。女子サッカーの先駆者のひとりにして、プロ選手としての責任と覚悟を、そうやって示していくのだ。
年齢や実績を積み重ねても、胸の奥のそのまた奥から、サッカーへの情熱が鼓動している。川澄なら周囲を優しく巻き込んで、女子サッカーの針路を定めていけるはずだ。
<了>
【profile】
川澄奈穂美(かわすみ・なほみ)
1985年9月23日生まれ、神奈川県大和市出身。地元の林間SCレモンズ→大和シルフィールドを経て日本体育大学に進学し、卒業後の2008年にINAC神戸レオネッサに加入。2011年にはリーグMVPと得点王に輝き、2013年も2度目のMVPを受賞する。2016年にNWSLのシアトル・レインFCに完全移籍し、スカイ・ブルーFC(→NJ/NYゴッサムFC)でもプレーしたのち、2023年7月からアルビレックス新潟レディースに所属。2011年FIFA女子W杯優勝メンバー。日本代表90試合20得点。ポジション=FW。身長157cm、体重51kg。
著者プロフィール
戸塚 啓 (とつか・けい)
スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専
門誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より 7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグ ワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本 サッカー』(小学館)
【写真】女子W杯優勝メンバー川澄奈穂美「昔と今」フォトギャラリー
4 / 4