検索

「湘南の貴公子」高田保則はワールドユース準Vから25年後、どんなセカンドキャリアを送っているのか (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【胸に刻んでいる川淵三郎キャプテンの言葉】

 今年1月の能登半島地震の被災地も、早く訪れたいと願う。

「学校の校舎が避難所になっているところもありますので、現地の状況に応じてこれから、ということになります。ホントに必要なところへ届けられるように、しっかり準備する必要もあります。

 東日本大震災や熊本地震では、いろいろな我慢を強いられていた子どもたちが、笑顔を浮かべてくれる場面を見てきました。能登半島地震の被災地でも、できるかぎり早く実現したいです」

 こころのプロジェクトの仕事に関わるなかで、胸に刻んでいる言葉がある。プロジェクトの立ち上げに尽力した川淵三郎キャプテン(当時)に、仕事を始めて間もないタイミングでアドバイスをもらったのだった。

「僕らは毎日、同じことの繰り返しだけど、子どもたちは常に1回かぎりだよ、だから慣れちゃいけないよ、と。

 人は出会いのなかで笑顔を作り、出会いのなかで夢を作っていく。夢を持つ大切さを伝えていく役割を与えてもらっているので、すごくやり甲斐を感じています」

 25年前のワールドユースでともに戦った仲間たちも、ほぼすべての選手が現役を退いている。播戸竜二や南雄太は、夢先生として子どもたちと接している。

「ワールドユースの仲間たちが夢先生をやり始めてくれているのは、すごくうれしいですね。そうやってセカンドキャリアでも輝いてくれることで、彼らのあとに続く選手たちも希望を持てるでしょうし、彼らと接する子どもたちにとってもすばらしい経験になると思います」

 2月に45歳となった高田は、3人の息子を持つ。大学3年生、高校3年生、高校1年生の父親として、悩みも少なくない。『こころのプロジェクト』については熱っぽい口調で語るが、「子どもたちに何ができているか......難しいですね」と、表情に戸惑いを浮かべるのだ。

 日常生活で日々、感じている悩みや痛み、小さな喜びや感謝といったものも、高田の仕事を彩りのあるものにしていく。

<了/文中敬称略>


【profile】
高田保則(たかだ・やすのり)
1979年2月22日生まれ、神奈川県横浜市出身。日産FCジュニアユースからベルマーレ平塚ユースに進み、1997年にトップ昇格。U-20日本代表として1999年ワールドユースに出場して準優勝に貢献する。2005年の横浜FCを経て2006年からザスパ草津でプレーし、2011年に現役を引退。ポジション=FW。J2通算407試合は歴代9位、76得点は歴代10位。

著者プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

【写真】あの人は今〜1994年Jリーグ得点王「オッツェ」今昔フォトギャラリー

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る