三笘薫は「存在そのものが脅威」ポイントは左サイドの位置取り 「背番号7」はジョーカーからエースになった
もはや、エースの風格すら漂っていた──。好きな番号だという「ナンバー7」を背負い、左サイドで躍動する姿は、スタジアムに詰めかけたファンの大歓声を促し、日本代表の最大の拠り所となった。
5日前のエルサルバドル戦に次いで、このペルー戦でも三笘薫(ブライトン)は当然のようにスターティングリストに名を連ねた。これで第二次森保政権発足後、4試合連続のスタメン出場である。これは菅原由勢(AZ)、板倉滉(ボルシアMG)、そして三笘の3人のみ。攻撃陣では唯一で、森保一監督の信頼の証でもあるだろう。
三笘薫の成長スピードは想像を超えるものがあるこの記事に関連する写真を見る 定位置である左ウイングに入った三笘だったが、この日はキックオフからしばらくボールに触れない時間を過ごした。最初のプレー機会は、試合開始から10分ほど待たなければいけなかった。
もっともクールなウインガーは、あくまで冷静沈着だった。
「右サイドでうまく攻めていたので、ボールが来なくても慌てずにやっていました。来た時にどういうふうにしようか、ということを考えていたので、焦りはなかったですね」
一度、ボールを受ければ、高い確率でチャンスを生み出した。
11分には左サイドでタメを作り、後方支援した伊藤洋輝(シュツットガルト)の好クロスを導くと、21分には得意の突破でサイドをえぐり、菅原の決定的なシュートを演出する。22分の伊藤の先制点の場面では、ボールに触れずとも、存在自体が相手の脅威となった。
「薫くんがサイドに張ってスペースを空けてくれたので、自分が入っていけた」
エリア手前でボールを受け、代表初ゴールとなる豪快なミドル弾を決めた伊藤は、三笘のサポートに感謝の意を述べている。
31分にも左サイドを切り崩し、あわやという場面を演出した三笘は37分、今度は自ら結果を残してみせる。得意のカットインからコンパクトに右足を振り抜き、スタジアムにこの日最大の歓喜をもたらしたのだ。
「とりあえず枠内という意識で打ちましたけど、ちょっとボールがずれて難しかったところもありました。運がよかったと思います」
謙虚にゴールシーンを振り返る三笘にとって、これが代表17試合目にして7点目となった。
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プロフィール
原山裕平 (はらやま・ゆうへい)
スポーツライター。1976年生まれ、静岡県出身。2002年から『週刊サッカーダイジェスト』編集部に所属し、セレッソ大阪、浦和レッズ、サンフレッチェ広島、日本代表などを担当。2015年よりフリーランスに転身。