久保建英は「ボールを保持する時間を増やしたかった」。鎌田大地との両立は?
6月20日、大阪。後半途中、森保ジャパンはペルーを3-0とリードしていた。右サイドの伊東純也はゴールに向かうあらゆる動きがパワー満点だったし、左サイドの三笘薫は、単騎で相手を切り裂くドリブルがスペクタクルとなり、トップ下の鎌田大地はライン間で極上の技術を披露し、違いを見せていた。やんやと騒いでいたペルーのサポーターを消沈させるほど、圧倒していたのは間違いない。
しかし、小さな違和感もあった。それは71分、鎌田に代わって久保建英がピッチに立った時に湧き出た......。
ペルー戦は後半26分からの出場となった久保建英この記事に関連する写真を見る「選手は悲しんでいる。悪い夜だ」
4-1で敗れたペルーのフアン・レイノソ監督は、そう言って肩を落としている。韓国を0-1で下して意気揚々と来日したペルーは、勝算があったのだろう。事実、6割に迫るボール支配率を残し、日本陣内に入っていた。
「韓国は縦に速いが、日本はもっとボールを持って、ポジション的優位性で戦う印象だったが、トランジションも早く、我々はその代償を払うことになった。チャンスを作りながら、ビハインドのなかでゴールを決められないと......」
必然の敗北だったとはいえ、ボールを持ちながら攻めたものの、カウンターで敗れた無念さが伝わってきた。
言い換えれば、日本は守備で隙を与えず、迫力のあるサイドの選手を生かしたカウンターで勝利したことになる。「カタールW杯の時のように持たれていた感覚はない」と選手たちも漏らしていたように、攻守が機能していた。南米のややクラシックな印象の相手に、効率のいいカウンターを連発。信条である「いい守りからいい攻めへ」を遂行し、「森保ジャパンの真骨頂」と言える試合だった。
森保一監督は新体制スタートにあたり、「ボールを握る時間を増やす」と明言していたが、皮肉にも回帰的な会心の勝利になった。監督本人も変化を求めているのだろう。しかし、戦術は監督の性格もあり、一朝一夕で変わるものではない。
<鎌田を下げ、久保を入れる>
そこに、森保ジャパンの現在地はあった。
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プロフィール
小宮良之 (こみやよしゆき)
スポーツライター。1972年生まれ、横浜出身。大学卒業後にバルセロナに渡り、スポーツライターに。語学力を駆使して五輪、W杯を現地取材後、06年に帰国。著書は20冊以上で『導かれし者』(角川文庫)、『アンチ・ドロップアウト』(集英社)など。『ラストシュート 絆を忘れない』(角川文庫)で小説家デビューし、2020年12月には『氷上のフェニックス』(角川文庫)を刊行。