青山敏弘が指摘するブラジルW杯での惨敗の理由「個で相手を上回ることができなくなった時、日本代表に策やパワーがなかった」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by AFLO SPORT

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「(自分は)このままじゃ、ダメだなって思いましたね。チームを引っ張っていた本田(圭佑)選手や長友(佑都)選手は海外でバリバリやっていた。昨年のカタールW杯もほとんどが海外組ですし、個の力でなんとかしないといけないところで、なんとかできた。(浅野)拓磨がドイツ戦でゴールを決めましたけど、それはそのために海外の厳しい環境のなかでどれだけやってきたか、という証だと思うんです。

 僕はブラジルW杯で初めて、そういう海外での経験が必要だと思いました。(世界で戦うには)ふだんからW杯のように厳しい世界という場に身を置いて、世界を常に意識してプレーしていかないとダメだなと思い知らされました。でもその時、僕は28歳。そこで気づいたのは、ちょっと遅すぎましたね」

2014年ブラジルW杯の翌年、J1の頂点に立ったサンフレッチェ広島の主軸として活躍し、同シーズンのMVPにも輝いた青山敏弘(写真右から2番目)2014年ブラジルW杯の翌年、J1の頂点に立ったサンフレッチェ広島の主軸として活躍し、同シーズンのMVPにも輝いた青山敏弘(写真右から2番目)この記事に関連する写真を見る W杯から所属のサンフレッチェ広島に戻った青山はその翌年(2015年)、「W杯で戦う意識でサッカーができた」という。持ち味を存分に発揮したすばらしいプレーを披露して、チームのリーグ制覇に貢献。MVPを獲得した。

 チームで結果を出していくなかで、日本代表のことも常に意識していた。アルベルト・ザッケローニのあとを受けたハビエル・アギーレ体制での招集はなかったが、同監督が早々に解任。新たな指揮官にヴァイッド・ハリルホジッチが就任すると、青山は再び代表に招集された。

 ハリルホジッチ体制となって2戦目のウズベキスタン戦(2015年3月31日)で先発出場。先制点を決め、自身初の代表ゴールを記録した。青山はこのまま2018年ロシアW杯にも出場し、ブラジルW杯での悔しさを晴らしたいと思っていた。

「メンバー的にもブラジルで(一緒に)戦った選手が多かったですし、W杯で勝ちたかった。僕にとっては、ロシアW杯に出場することがブラジルのリベンジだと思っていました。

 実際、チャンスはあったんですが、大会前に負った右膝のケガでドクターストップがかかってしまって、すごく残念でした。でも、日本はロシアW杯でベスト16に行ってくれたので、それはうれしかったですね。

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