元日本代表・名良橋晃が振り返る現役時代。国立で行なわれたW杯予選、引き分け後の暴動に「いつ帰れるんだ」という恐怖も体験した
元日本代表・名良橋晃インタビュー 後編
前編「名良橋晃が選んだ歴代日本人右サイドバックトップ10」>>
ベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)、鹿島アントラーズで活躍し、日本代表では1998年フランスW杯に出場した名良橋晃氏。インタビュー後編では、現役時代の思い出と引退後からここまでの活動、現在のアントラーズへの思いも語ってもらった。
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日本が初出場した1998年フランスW杯では、初戦でアルゼンチンと対戦した名良橋晃氏この記事に関連する写真を見る
憧れのジョルジーニョとの2年間
――名良橋さんは湘南ベルマーレの前身であるフジタ時代から所属されてJリーグ開幕、日本初のW杯出場を経験され、日本サッカーの過渡期を最前線で駆け抜けてこられたキャリアだったと思います。そんな名良橋さんが一番心に残っているシーズンは、どの年になりますか?
本当に多くの経験をしてきましたけど、どうしても思い出すのは1997年ですね。ベルマーレ平塚から鹿島アントラーズに移籍した初年度で、いろんな思いがありました。あの頃は日本代表から外れていて、前年は平塚の順位もそれほどよくなかったんですね。平塚を離れることに葛藤はありましたけど、やっぱり選手としてステップアップしたいという考えがありました。
それから鹿島には元セレソン(ブラジル代表)のジョルジーニョがいました。1990年イタリアW杯を見てからずっと憧れていて、1995年に鹿島へ入団すると聞いた時は「おいおい、まさか」と思いましたし、やっぱり一緒にプレーしてみたいという思いがありました。そこでいろんな人の支えがあって、移籍期限ギリギリに鹿島への移籍が決まりました。
決まった頃は、チームはとっくに始動していて、すぐにブラジルで行なわれていたキャンプに合流しました。レギュラーが約束されているわけでもなく、当時は内藤就行さんというすばらしいサイドバックもいました。ブラジルキャンプはその競争のなかでがむしゃらにやっていた記憶しかないです。
――憧れのジョルジーニョさんとの練習はどうでした?
とにかくジョルジのプレーを見て、そこから盗んで、吸収して、自分で考えながらやっていました。キックの音がほかの人と全然違うんですよね。とくにインステップキックがすごくて、間近で見て目に焼きつけていました。
ちょっとアウトサイドにかけたような独特なフォームの蹴り方で、マネしようと思ってもなかなかできなくて、最後まで彼の領域には近づけなかったですね。
ジョルジは1998年まで鹿島でプレーしたので、その2年間で彼とプレーできた経験はかけがえのないものでした。1997年は自分のなかではターニングポイントと言える年でしたね。
――ジョルジーニョさんからのアドバイスなど、鹿島でサイドバックとして成長できた部分はどんなところでしたか?
「まずは守備から」というのはよく言われていました。そこから「効果的に出るタイミングを見失うな」と。守備の大事さといのは鹿島に行ってからすごく学びましたね。当時はジョルジだけでなく、秋田豊さんや本田泰人さん、黒崎久志さん、相馬直樹など日本代表選手が多くいて、すごい選手ばかりでした。
ブラジルキャンプが終わって、代表選手たちが合流してから紅白戦をやったんですよ。その時に「このなかで本当にやっていけるのかな」と、ちょっと腰が引けましたね。でも「ここで成功すれば間違いなく代表につながる」と強く思えました。
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