国際Aマッチ122試合を誇る井原正巳の日本代表ベストゲーム「涙が出そうになるくらいの感覚でピッチに立った」 (4ページ目)
「自分のマークを捨てて、もうひとりの空いた選手にアプローチしにいったところでパスを出されて、それがアンラッキーにもバティのほうにこぼれてしまった。自分があそこで出なければ......、そういう後悔はありました。
ただ、それも含めて力の差というか、あそこでボールがこぼれてくるのがバティだと思いましたし、それを落ち着いてゴールへ流し込める力に経験値の差を感じました。その他にも危ない場面はありましたが、(GKの川口)能活をはじめ、日本の選手が体を張って抑えていた。でも、やはりああいうところを逃さない。それが世界的なストライカーなのかなと、より強く感じさせられたプレーでした」
それでも、その後は日本がフィニッシュまで持ち込む場面も何度かあり、井原は「追加点を許さなければ、追いつくチャンスはあるという思いでゲームを進めていました」。結果的にこの1ゴールが決勝点となり、0-1で敗れはしたが、「十分にやれるという手応えのほうが大きかった」と振り返る。
「初めて出たワールドカップで、日本のサッカーを少しは世界にアピールできたと思いますし、現地でもフランスの方々が日本のサッカーを見てビックリされていたという話も聞きました。自分たちのやれることはやったのかなと思います」
敗れはした。世界との差を見せつけられた。それでもこの試合が、井原のキャリアにおいて、燦然と輝く特別な一戦であったことに変わりはない。
「初めてのワールドカップの初戦というだけでなく、ケガをしてからのリハビリのことや、外れた3名のメンバーのことであったり、あとはドーハの時(前回大会最終予選)の悔しさを晴らすためにという思いもあるなかで、何とか(出場のチャンスを)つかんだ試合でした。
そういういろんな思いがあって、アルゼンチン戦には臨むことができた。やはりあの試合というのは、自分のなかでは非常に印象深いですし、ベストゲームと言っていい試合だったと思っています」
井原正巳(いはら・まさみ)
1967年9月18日生まれ。筑波大卒業後、JSL(日本サッカーリーグ)の日産(現横浜F・マリノス)入り。以降、日本を代表するDFとして名を馳せる。大学在学中に初招集された日本代表でも長年活躍。国際Aマッチ122試合に出場(5得点)。1998年フランスW杯に出場した。現役晩年にはジュビロ磐田、浦和レッズでプレー。引退後は解説者などを務めたあと、2009年に柏レイソルのヘッドコーチに就任。その後、同クラブの監督代行、アビスパ福岡の監督などを経て、2019年より再び柏のヘッドコーチを務めている。
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