プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

日本代表「私のベストゲーム」(11)
鈴木啓太編(後編)

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 2010年6月11日に開幕したワールドカップ南アフリカ大会。日本代表がベスト16進出を果たす戦いを繰り広げていた時、鈴木啓太は遠く日本でテレビの前にいた。

「一緒にプレーしていた選手が多かったので、応援はしていました」

 そう語る鈴木は、「自分もここに立てたかもしれない、とはまったく思えなかった」と、当時の心境を振り返る。

「選手として、というよりは、一ファンとして見ていたというか。悔しい気持ちは当然ゼロではないんですけど、アテネオリンピックの(メンバーから漏れた)時のほうが悔しさは大きかったですし、あの時本当に悔しかったかというと、そこまでは思えない自分がいたんです」

 2008年に入って病気を発症し、コンディションを崩して以降、自分の体がどんな状態にあるのか、一番わかっているのは誰より鈴木自身だった。

 日本代表を再び目指す以前に、そのスタートラインに立つレベルにさえコンディションが戻ることはなかった。

「完全にバーンアウトというか......。燃え尽きたわけではないので、バーンアウトとはちょっと違いますけど(苦笑)、もうサッカーをすることが本当に苦しかったので......、全部投げ出してサッカーから離れたいって思っていました。あの頃は、向上心もなかったかもしれないですね、もしかすると。

 とはいえ、自分はプロ選手としてお金をもらっている。だからこそ、やめなきゃいけないんじゃないかなって真剣に考えました。お金をもらって、それに見合う仕事ができないのであれば、いる価値がない。だったら僕は......、やめたほうがいいんじゃないかって思いました」

 今となっては、「そういった経験をどう自分のなかで整理して、消化していくのか。それはすごく学びの時間ではありました」と考えられるようになったが、当時の正直な気持ちはと言えば、「代表を目指すどころか、所属チームですらポジションを確保できない。それは本当に苦しかったです」。

 だが、2008年の段階でサッカーから離れることを考えた鈴木は、結果的に2015年に引退するまで、プロ選手であり続けることになる。その間、いったい何があったのか。

 転機となったのは、「ミシャとの出会い」。鈴木はそう言いきる。

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