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プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 ミシャこと、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が浦和レッズにやってきたのは、2012年のこと。当時を振り返り、鈴木は「ミシャとのあの4年間って、本当に毎日毎日サッカーをやるのが楽しかったんです」と、弾むような口調で回想する。

ミハイロ・ペトロヴィッチ監督と出会って、再び「ボールを蹴るのが楽しくなった」という鈴木啓太ミハイロ・ペトロヴィッチ監督と出会って、再び「ボールを蹴るのが楽しくなった」という鈴木啓太この記事に関連する写真を見る ペトロヴィッチ監督は着任早々、鈴木の胸の内を見透かしたように、こんなことを言ったという。

 なぜそんなにつまらなそうにサッカーをやっているんだ――。

 当時の鈴木の精神状態は、まさにドン底。本人曰く、「もともと僕は、サッカーをやっている以上は常に日本代表を目指せよ、ってずっと思っているタイプ」だったが、その頃には「もうそんなことはほとんど考えられなくなっていました」。

 だが、ペトロヴィッチ監督の下でプレーするようになってからは、「ただただ、ボールを蹴ることが楽しくなっていました」。何より「自分がうまくなっているなって感じられた」ことが楽しさを倍増させた。

 鈴木には今でもはっきりと記憶にとどめている、ペトロヴィッチ監督からの言葉がある。

 2008年以降、一向に上がらない自身のコンディションに苦しみながらサッカーを続けていた2011年、東日本大震災が発生。沈みがちな空気のなか、同年のシーズンで浦和は下位に低迷し、J1残留争いを強いられた。

「そこでなんとか残留できたので、自分の役目は終わったな、と。次の身の振り方をどうしようか、と考えている時でした」

 ペトロヴィッチ監督は就任直後のミーティングを終えると、ふいに鈴木に声をかけた。

 おまえはこれからもっとサッカーがうまくなる。一生うまくなり続けるぞ――。

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