プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉 (3ページ目)
「僕はもう30歳を過ぎていましたし、自分のイメージは全然戻らない。いやいや、ウソでしょ、と(笑)。でも、その時ミシャが『おまえはいい選手だ』って言ってくれて、その言葉があったので、だったらもう一回、チャレンジしてみたいなって思ったんです」
すると、「練習していったら、本当にサッカーがうまくなったんですよね」。
鈴木が笑って続ける。
「それは僕自身だけの評価ではなく、後輩たちからも『啓太さん、マジでサッカーうまくなったよね』って言われるわけです(笑)。僕も本当にそういう手応えを感じていて、だからこそ、最後の1年間はほとんど試合に出られませんでしたけど、ミシャとの4年間っていうのは、もう毎日サッカーするのが楽しかった。人っていつでも成長できるんだなって思いましたね」
鈴木がプロ選手として過ごした16年のキャリアをあらためて振り返ると、その間には年代別代表として、あるいはA代表として、確たる地位を築いた時期もあったが、終わってみれば、アテネ五輪やワールドカップといった大舞台には縁がなかった。
もしかすると、ちょっとした巡り合わせの違いで、鈴木のキャリアは大きく変わっていたかもしれない。
あと少しの運があれば......。そう思うことはないのだろうか。
そんなことを尋ねると、鈴木は「僕は逆に、なんてすばらしい経験ができたんだろうって思っています」と清々しく語り、ネガティブな見方をあっさりと一蹴した。
「普通に考えたら、僕のレベルでは代表のユニフォームに袖を通すことなんてできなかったんじゃないかなって思いますからね。
これは全然、ポジティブシンキングとか、自分のいいようにとらえるとかっていう話じゃなくて、僕が自分のことを客観的に見た時、僕は小さい頃からずっと、常に自分よりうまい子がいる、っていう世界にいたわけです。自分がお山の大将でサッカーができたのなんて、唯一小学生で所属していたチームだけ。その1チームだけなんです。
小学3年生から清水FCっていう選抜チームに入るんですけど、そうなるともう周りはみんな僕よりうまい。中学校(東海大一中)に行っても、3年生には高原(直泰)さんがいましたし、同じ学年でも僕よりうまい選手のほうが多かった。高校(東海大翔洋高)に行っても、僕よりうまい選手なんていくらでもいましたから。
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