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プロの世界に「いる価値がない」――どん底の状態にあった鈴木啓太を救ったミシャの言葉 (4ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by AFLO

 そう考えた時、サッカーがうまい、下手に順位があるとすれば、日本代表ってその上位11人がプレーするところ。そんなところで、自分がよくプレーできたなって、今でも思います(笑)」

 運不運で言うのなら、「むしろ運がよかったからここまでこられた」。それが鈴木の解釈だ。

「僕には、そうとしか説明のしようがないんです。小野伸二、小笠原満男、稲本潤一がいて、ヒデさん(中田英寿)だって、もし(2006年に)引退していなかったら、っていう話じゃないですか。そんな選手たちがいるなかで、僕は逆に運がよかったから日の丸をつけて日本代表で戦えたんだ、と思います」

 鈴木がけれんみなく続ける。

「サッカー界にも、『なぜ鈴木啓太なんだ』って言っていた人はいたと思います。でも、それは、あの......、僕も思いましたからね。『なんでオレなんだろう?』って(苦笑)。

 だけど、そこで(イビチャ・)オシムさんもそうですし、ギド(・ブッフバルト)もそうですし、(ハンス・)オフトさんもそうですし、ミシャもそうですし、本当にすばらしい指導者をはじめ、大勢の方たちに出会ったおかげで、自分の実力以上の経験をさせてもらえたんです。

 あとは、自分自身もほめてあげたいですね。『よくやったよな、おまえ』って。僕、自分に甘いタイプなんで(笑)」

 大舞台に縁がなかった――。それは16年間のキャリアの一部ではあるが、決してすべてではない。だからこそ、鈴木は笑顔でこう言いきる。

「自分自身を客観的に見たら、僕は本当に幸せなサッカー人生を歩ませてもらったと思います。これにはもう感謝しかありません」

(おわり)

鈴木啓太(すずき・けいた)
1981年7月8日生まれ。静岡県出身。東海大翔洋高卒業後、2000年に浦和レッズ入り。以来、2015年まで16年間レッズに在籍。長年、主力選手として活躍した。イビチャ・オシム監督率いる日本代表でも奮闘し、同監督が指揮を執った試合すべてに出場。国際Aマッチ出場28試合0得点。引退後は実業家としても日々奔走している。

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