オシムジャパン全試合に出場した鈴木啓太。「自分の新たな扉が開いた」という代表ベストゲーム
日本代表「私のベストゲーム」(11)
鈴木啓太編(前編)
サッカーの神様も粋な演出をしたものである。
2004年3月18日、東京・国立競技場。U-23日本代表は、アテネ五輪アジア最終予選でUAEを3-0と下し、3大会連続となる本大会出場を決めていた。
キャプテンとして歓喜の輪の中心にいた鈴木啓太は、しかし4カ月後、アテネ五輪本番の登録メンバーに名を連ねることはなかった。
以来、鈴木は悔しさを抱え、成長を続け、アテネ五輪から2年、ついに次なる目標と定めてきたA代表デビューを飾ることになる。
晴れの舞台は、奇しくもアテネ五輪への出場権を勝ちとった時と同じ、国立だった。
「試合前に国歌を歌った時には、それまでのことが走馬灯のようによみがえってきました。死ぬわけじゃないんですけどね(笑)。
ひとつの夢であったオリンピック出場が叶わず、次はもう(年代別ではない)日本代表しかない。と同時に、日本代表は自分の子どもの頃からの夢でしたし、その一員になれたことは感慨深いものがありました。
オリンピック出場を決めたUAE戦以来の国立で、また代表のユニフォームを着て......、いろんな感情が混ざり合うなかでプレーした記憶があります」
鈴木が選ぶ、自身の日本代表ベストゲームは、2006年8月9日に行なわれた親善試合、日本vsトリニダード・トバゴ。本人の言葉を借りれば、「止まっていた時計が再び動き出した」試合である。
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