2022.06.15

金田喜稔×木村和司対談「トルシエのことは好かんかったけど、言っていることは正しかった」

  • 小室功●取材・構成 text by Komuro Isao

日韓W杯20周年×スポルティーバ20周年企画
「日本サッカーの過去・現在、そして未来」
レジェンドたちが語る日本サッカーの「進化」
金田喜稔×木村和司 対談(1)

木村和司氏(左)と金田喜稔氏(右)。photo by Takahashi Manabu木村和司氏(左)と金田喜稔氏(右)。photo by Takahashi Manabu この記事に関連する写真を見る ――2002年ワールドカップ日韓大会から20年。今回は当時のことを振り返りつつ、それ以降、日本サッカーがどう成長し、進化してきたのか、といったテーマでおふたりに語っていただければと思っています。

金田「ワシね、日韓大会の開催が決まる前にFIFA(国際サッカー連盟)の本部に行っているんですよ。日本のサッカーファンの嘆願書というか、そういうものを持ってね。セルジオ(越後)とか、(松木)安太郎とかと一緒に。

 日韓大会の開催が正式に公表されたのは1996年の5月だったけど、当時"日本の単独開催"ということしか頭になかったから、正直"共催"となって、がっかりしたのを覚えている。だって、それまでのワールドカップは1カ国で開催されてきたんだから」

木村「共催?『何や、それ?』ってな」

金田「いろいろな事情があったんだろうけど......。まあ、そうは言っても開幕してからの1カ月間は楽しくて仕方がなかった(笑)」

木村「どこに行っても、ワールドカップ一色やった」

金田「近所の焼き肉屋とか飲み屋なんかに行っても、みんながワールドカップを見ていて、日本中が日本代表チームを応援してくれて。本当にお祭り騒ぎだった」

木村「ワシはテレビ解説を10試合くらいやったんかの。日本だけじゃなく、韓国にも行ったんよ。国内の半分くらいをず~っと回ってた」

金田「ワシも韓国に行ったよ。対戦カードは忘れてしまったけど、確か光州の試合だった。それまで、いろいろなところで焼き肉を食べたけれど、光州の焼き肉はうまかった。やっぱり本場は違う。そこはすごく覚えとるよ(笑)」