松木安太郎流、サッカー解説の心得。オーストラリア戦はネガティブを排除し「応援目線」 (4ページ目)

  • 津金壱郎●取材・文 text by Tsugane Ichiro

---- 松木さんの場合、そうした目線の先には常に視聴者がいるように感じます。どういう人にサッカーを伝えようとしているかが明確には伝わってきますが、いつ頃から意識されているのでしょうか?

「1995年にNHKのJリーグ中継の解説者として活動を始めた頃に勉強しましたね。当時はニュースで取り上げられるスポーツの主体はプロ野球で、サッカーが取り上げられることは少なかったんですね。サッカーが国内でメジャースポーツになるには、もっと多くの人たちにサッカーの魅力を知ってもらわなくてはいけないし、何気なくチャンネルを合わせた人たちにサッカーの面白さが伝わるスタンスが必要なんだと。そこからですよね」

---- 松木さんの考えるサッカー解説者の仕事とは、端的に言うと何でしょうか。

「試合を観ている人がエンジョイできるように手助けすることでしょうね。サッカーもエンターテインメントのひとつと捉えるならば、特にテレビで仕事をするのであれば、視聴者の日頃からのサッカーへの興味の有無にかかわらずに、試合を楽しめるようにするのが大事だと思っています。そのためには、自分のいろんな要素を表現するのは後回しにしてもいいんじゃないかと」

---- 松木さんは日本サッカー協会公認S級ライセンスのほかに、ブラジルサッカー指導者協会認定ライセンスもお持ちです。「もっと突っ込んだサッカーの話をしたい」という欲求を抑えるのは大変な時もあるのではないですか?

「それはそれですから(笑)。もちろん、サッカーの選手やコーチたちと、サッカーについてのいろんな考え方について話はします。でも、それをサッカー中継でするよりは、サッカーに詳しくない人が『サッカーって楽しいな』と思ってくれるような解説をするほうが、僕にとっては大事ですね。これは解説を始めた頃から持っている『サッカーをメジャーにしたい』という思いが今も変わらないからだと思うんですよね」

(後編につづく)

【profile】
松木安太郎(まつき・やすたろう)
1957年11月28日生まれ、東京都中央区出身。現役時代は主にサイドバックでプレー。読売クラブ(1973年〜1990年)ひと筋で、主将としてリーグ優勝や天皇杯優勝に貢献。日本代表では1984年から1987年にかけて12試合出場する。現役引退後、読売クラブのコーチを経て1993年に35歳の若さでヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)の監督に就任し、チームをリーグ2連覇に導いた。1998年にセレッソ大阪、2001年に東京ヴェルディを率いた一方、唯一無二のサッカー解説者として人気を博す。

写真で振り返る日本代表vs強豪国の伝説マッチ

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