ジーコジャパンを土壇場で救った大黒将志の劇的ゴール「パスが来る確信があった」 (3ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki
  • photo by REUTERS/AFLO

 当時は「ラッキーなことに、結構(試合も含めて約3週間という)合宿期間があった」ことも、大黒にとっては幸いした。

「練習試合もいくつかあって、とにかく自分の特長はゴールすることだと思っていたんで、そこでゴールしまくっていたんです」

 すると、大黒は1月29日に行なわれたカザフスタンとの親善試合(4-0)に、77分から途中出場。代表初招集後の初戦にして、早くも出場機会が巡ってきた。

 記念すべき初代表の背番号は31。「僕のなかで31番は"ミスタータイガース"やったんで。掛布(雅之)さんの番号もらえた、みたいな」。

 そう言って笑う大黒も「若干緊張した(苦笑)」と語る、日本代表デビュー戦である。

「まだ1月でJリーグもやってなくて、その年の1試合目っていうのもあったし、ちょっと硬かった。もっとリラックスしてやんないとボールも止まんない。そういう反省を生かして、次はやろうとは思いましたね」

 だが、続く2月2日のシリアとの親善試合(3-0)では、出番なし。大黒は国際Aマッチ出場「1」の記録だけを携えて、初めての最終予選、北朝鮮戦へ向かうことになった。

 当時の最終予選は現在とは異なり、規定のベンチ入りメンバーは18人。すなわち、その時点での招集メンバー24人から6人が外れることを意味していた。

 しかもジーコ監督は、いつも試合会場のロッカールームでメンバーを発表するため、「(メンバーに)入ってるか入ってへんかが、スタジアムへ行くまでわからなかった」と大黒。さぞかし気をもんだのかと思いきや、「そこはあまり気にしていませんでした」。

「僕、いつもそうなんですけど、メンバーに入ったらやるだけですし、入らなくてもチームのサポートをするだけですし。入ろうが入るまいが、それまでにやるべきことをいつも同じように準備していました」

 とはいえ、大黒にメンバー入りの手ごたえがなかったわけでもない。

「その(北朝鮮戦)直前にも大宮ユースと練習試合があったんですけど、そこで点を取り倒した(ハットトリック)んで、たぶんジーコさんも選んでくれたんやと思います」

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