歴代日本人の「スピードスター」トップ10。野人・岡野雅行が選出、その定義とは? (5ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Matsuoka Kenzaburo

1位 岡野雅行(元浦和レッズほか)

 やっぱりどう考えても負ける気がしないんですよ。僕が22歳から27歳くらいにかけてですね。申し訳ないけど、今の選手と比べても譲れない。

 Jリーグや日本代表の試合を見て、速いと言われる選手が出てきますが、その多くが「甘いな」と。

 よく見ていて感じるのが「それに追いつかないのは"速い"って言わないんだよなあ」ということ。周りが追いつかないだろうと思うボールに追いつくから度肝を抜くわけで、そこに価値があるんです。"規格外に速い"のがスピードスターだと思うんですよね。

 僕はよく日本代表の試合の国立競技場とかで、ウォーミングアップでアホみたいにダッシュしていたんですけど、満員の会場がどよめくんです。僕はプロレスが好きで、パフォーマンスがすごいじゃないですか。それにお客さんが湧いて、会場が最高潮に盛り上がる。まさにあれですよね。

 浦和が1年でJ2から昇格した最終節のサガン鳥栖戦に、僕は延長戦から出場しました。そこで"ジョホールバルの歓喜"の時と同じVゴールで勝ったんです。浦和のフィジカルコーチが、かつて日本代表のフィジカルコーチをやっていたフラビオで、彼が「この場面、ジョホールバルに似てない?」って言ったんですね。

 浦和は1人退場して、サポーターも"しーん"としていたんですよ。そこで僕がサポーターの前をブワーッとただ全力で走ったんです。それを見てサポーターがウオー!!って盛り上がって、僕がそこで「いくぞ、オラー!!」って煽ったら延長に向けてミーティングしていた鳥栖の選手たちが、何ごとだって全員振り返って。

 そこで会場の雰囲気がガラッと変わって、僕はもう勝ったと思いましたね。

 そうやってスピードは会場を一変させるくらいの力があるんですよね。だから僕はすごくスピードを大事にしていました。

「岡野はただ走るだけ」とか言われましたけど、僕は「ありがとう」って感じていました。ただ走るだけでも誰にもマネできないし、僕にとってそれは誇りでした。このこだわりだけは絶対に誰にも負けないということで、自分を1位にしました。

岡野雅行
おかの・まさゆき/1972年7月25日生まれ。神奈川県出身。日本大学から1994年に浦和レッズ入りして快速FWとして活躍。日本代表では1997年のフランスW杯アジア最終予選で、「ジョホールバルの歓喜」と言われるイラン戦で延長Vゴールを決め、W杯初出場を獲得。一躍人気選手となった。2001年にヴィッセル神戸、04年に再び浦和、その後香港のTSWペガサス、ガイナーレ鳥取でプレーし、2013年に引退。J1通算301試合出場36得点。日本代表Aマッチ25試合出場2得点。現在はガイナーレ鳥取の代表取締役GMを務める。

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