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「このピッチから去りたい」日本代表、サンドニの悲劇。戦えたのは中田英寿だけだった (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • 赤木真二●写真 photo by Akagi Shinji

「サッカーをずっとやって来て、生まれて初めて『このピッチから去りたい』と思ったよ。それほどに屈辱的だった」

 当時、トルシエジャパンが用いたフラットスリーの中心的存在だった松田直樹は、その試合で感じた無力さを洩らしていた。

「序盤(前半10分)にピレスがペナルティエリアに入ってきた時、動きが遅れて倒してしまい、PKを与えてしまって。『まだ試合は始まったばかりだ』と自分を励ましたけど、ジダンを相手にすると何もできなくて、間合いを詰めると叩かれて裏を取られ、間合いを詰めないとターンされてあっさりフィニッシュまで持っていかれた。すぐに2点目を取られてしまって......自分はユースから世界大会を戦ってきたけど、"世界"っていうものを初めて感じた」

 日本はフランスの選手の技術の高さに圧倒されている。ジダンのボールキープは変幻自在だったし、アンリのコントロール&キックは神がかり、ピレスのエレガントさは獰猛なほどで、デサイーは無敵のサイボーグのようだった。雨が降って重くなったピッチでも、フランスの選手は軽やかにプレーしていたが、日本は動きが鈍く見えた。

 ほとんどの日本人選手が未知との遭遇を感じ、歯が立たなかった。アジア王者などという称号はまるで通じない。当時、Jリーグを席巻していたジュビロ磐田の選手たちもなす術がなかった。

 結果、ワンサイドの内容で5-0と大敗を喫した。

「サンドニの悲劇」

 後世にそう伝えられる試合だ。

 唯一、フランスと渡り合えたのが、すでにイタリアで活躍していた中田英寿だった。重心が低く、ボールを失わない。ドリブルからクロスバーを叩くシュートを打ち込んでGKを脅かし、少しも引けを取らなかった。彼がボールを触った時だけ、フランスの選手も不用意に飛び込めない。精神的にも自信に満ち溢れ、ひとり違う境地に立っていた。

 そのシーズン、中田はセリエAのローマで日本人として初のスクデット(リーグ戦優勝)を勝ち取っている。ユベントスとの決戦では、2点リードされた状況で交代出場し、豪快なミドルを決めた後、劇的な同点弾もアシスト。当時、イタリアは世界最強リーグで、その値打ちは計り知れなかった。

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