「このピッチから去りたい」日本代表、サンドニの悲劇。戦えたのは中田英寿だけだった (3ページ目)
◆日本代表、敗れてこそ。挫折が改善を生んだW杯史、中田英寿の出現
日本人はフランスのフィジカルパワーをベースにした技術の高さに、ひ弱さをさらけ出した。当時、次世代のスーパースター候補だった中村俊輔は左ウィングバックで先発し、厳しい評価に晒されている。それはひとつの教訓だった。
フランスという強敵に受けた屈辱を、日本は成長の触媒としている。
「俺は負けるのが許せないし、だからこそプロの世界で生き残ってこられた」
そう語っていた松田は、翌年の日韓ワールドカップに向けて限界まで心身を追い込み、ベスト16に勝ち上がる原動力になった。
「自分は高校の頃から世界の強豪と戦う機会をもらい、少しでもミスをしたらやられるという感覚を養えた。怖さを肌で感じてビビったこともあったけど、それよりもむかついたし、燃えずにはいられなかった。フランス戦で受けたような屈辱は二度とごめんだった。『負けねぇぞ』っていう反骨心と緊張感を持っていたから成長できた」
そしてサンドニの悲劇から3年後、フランスリーグで認められる日本人が現れている。
「フランスに来て、自分がどう成長しているか、というのはわからないところもあります。でも、体が覚えていく感じですかね。例えば球際にしても、相手の強さに応じて自分も強くなった」
2006年のインタビュー時、フランスリーグのル・マンに所属していた松井大輔はそう語っていた。アフリカ系の選手のパワー、スピードは問答無用だったし、我の強さも日本人には面食らうところがあったという。しかし松井は適応することで、自分のプレーを爆発させた。
「アフリカ系の選手の体力はすごいですよ。でも例えば柔道で、日本人は小さいのに、でかい人を倒してきた。僕はそういう戦いがしたい。でかさやごつさだけでは限界があると思う。だから、日本人は日本人なりにやればいいと思う。それは必ずできるはずだし、ヨーロッパ人やアフリカ人の真似をしなくてもいい」
海を渡って、現地に飛び込むことで得た感慨は深かった。松井は自らの技術を出せるようになり、その俊敏さやトリッキーな技術によって現地で人気を博した。弱さは華麗さとなった。
日本サッカーにとって、サンドニの悲劇は進化の途上だったのだ。
(つづく)
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