日本代表が見せた守備練習のような一戦。「スペインの強さ」を誤解していた

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

日本代表が強豪国と戦う時(2)~スペイン
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 スペインのリーガ・エスパニョーラは日本人サッカー選手にとって、長らく「鬼門」だった。これまで城彰二、西澤明訓、大久保嘉人、中村俊輔、家長昭博、清武弘嗣、柴崎岳など、日本のトップ選手たちが、次々に挑戦してきた。しかし、ことごとく返り討ちに遭っているのだ。

 乾貴士、久保建英の2人が、ようやく新しい時代の扉を開けたと言えるかもしれない。日本人は、スペインサッカーの何に阻まれてきたのか?

 2001年4月、コルドバ。当時、フィリップ・トルシエが率いる日本代表は、敵地でスペインと戦っている。フランスに大敗した「サンドニの悲劇」の後だっただけに、日本は極端に用心して5-3-2の守備的システムを採用。トルシエとしては守備から立て直そうとしたはずだが、急造感は否めず、機能していない。腰が引けて与えたスペースを使われ、さながら〝守備練習"の様相を呈した。

 スペインは当時、司令塔を務めていたジョゼップ・グアルディオラが自在にゲームを操った。下がるだけの日本のディフェンスを攻め立てる。戦術、技術、体力、いずれにおいても差を示した。

2001年のスペイン対日本戦で、ラウル・ゴンサレスと競り合う稲本潤一2001年のスペイン対日本戦で、ラウル・ゴンサレスと競り合う稲本潤一この記事に関連する写真を見る サンドニの二の舞を避けられた理由は、GK川口能活がサルバ・バジェスタ、ラウル・ゴンサレスの決定機をことごとくセービングで防いだからに他ならない。守備組織は破綻。センターバックは間断なくピンチを迎え、それを修正することもできなかった。

 ボールをつないで敵陣に運びたかったが、技術的ミスを自陣で連発。攻撃の形を作れない。何度となくショートカウンターを浴び、終了間際まで0-0だったのは僥倖だった。89分、スペインのMFルベン・バラハにミドルシュートを決められたが、間延びした決着だった。

「赤面ものの引き分けをどうにか回避!」

 当時のスペインのスポーツ紙は、そんな見出しで、1-0の辛勝を皮肉っていた。ホセ・アントニオ・カマーチョ監督の続投を疑問視する声まで出て、当時の日本と「ホームで終盤までスコアレスドロー」は恥辱を意味した。

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