内田篤人も酒井宏樹も。コンバートで才能が開花した日本代表8人 (2ページ目)
右SBで水を得た酒井は2009年に柏のトップチームに昇格し、2011年にはJ1に復帰したシーズンでのリーグ優勝に貢献。2012年にはA代表に初選出され、2014年と2018年のW杯に2大会連続で出場を果たしている。
この酒井をはじめ、SBはコンバート組が多い。
右SBで日本代表の一時代を築き、昨夏に32歳で現役生活に別れを告げた内田篤人は、清水東高2年時に中盤のアタッカーから転向した。左SBで34歳になった今なお日本代表に名を連ねる長友佑都(マルセイユ)も、明治大1年時にボランチから転向している。
両選手の代表でのキャリアは、コンバートがあったからこそと言えるだろう。
子どもの頃はサッカーの上手な選手がFWや攻撃的MFを担い、年齢を重ねるにつれてポジションを下げるケースは多い。そんななか、逆の道を辿ったレアケースが矢野貴章(栃木SC)だ。
中学時代はSBだったが、浜名高でフォワードにコンバートされて才能が開花し、2001年U--17世界選手権に出場。高校卒業後は柏からプロ生活をスタートし、2010年W杯ではFWとしてメンバー入りも果たした。その後、名古屋在籍時にはチーム事情から再びSBでプレーもしている。
フォワードからの転向組には、井原正巳や松田直樹、福西崇史がいる。
井原は筑波大時代にCBに転向し、大学2年時に日本代表に初選出。そこから日本代表に欠かせないDFリーダーとなり、歴代2位の122試合に出場した。
松田は中学時代までFWだったが、前橋育英高でDFの資質を見込まれて転向。世代別日本代表には中田英寿とともに常に飛び級で名を連ね、プロ入り後もアトランタ五輪、シドニー五輪、日韓W杯など主要大会に欠かせない選手となった。
その松田と同世代だった福西は、高校時代は愛媛の無名のフォワードに過ぎなかったが、プロ入り後にジュビロ磐田でボランチに転向。潜在能力を大きく花開かせて、日韓W杯、2006年ドイツW杯に出場するまでになった。
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