内田篤人も酒井宏樹も。コンバートで才能が開花した日本代表8人
J1首位攻防戦となった5月4日の川崎フロンターレvs名古屋グランパス戦。右SBで先発した山根視来は大一番で今季2ゴール目を決めて、川崎の勝利に貢献した。
昨季から川崎に加わった山根は、チームのウィークポイントだった右SBを埋めてリーグ優勝の立役者のひとりとなったが、今季はさらなる進化を見せている。3月に行なわれた日韓戦に右SBで先発して日本代表デビューを果たすと、先制点を決めるなど攻守にわたって鮮烈なインパクトを残した。
日本代表でも名SBとして一時代を築いた内田篤人この記事に関連する写真を見る 山根はもともとドリブルが得意で、桐蔭横浜大時代は2列目の左でプレーしていた。だが、2016年に湘南ベルマーレに進むと、当時のチョウ・キジェ監督のもとで3バックの右CBにコンバート。そこでメキメキと頭角を現した。
4バックの右SBで本格的にプレーするようになったのは川崎に移籍してからで、今季が実質2年目。SBは専門性の高い動きを求められるポジションだが、持ち前のドリブルなど攻撃力を発揮し、存在感を高めている。
これまでユース各年代の日本代表を経験したことはなかったが、コンバートをきっかけに27歳にしてA代表まで登りつめた。今後、日本代表の右SBに定着するには、強豪国の外国人選手にも通じる守備力の証明が求められる。それができれば、酒井宏樹(マルセイユ)や室屋成(ハノーファー)といった日本代表右SBの牙城も崩せるだろう。
山根のようにポジション変更が契機になり、日本代表まで駆け上がった選手は意外と多い。日本代表右SBで不動のレギュラーに君臨する、前出の酒井もそのひとりだ。
中学時代に所属した柏レイソルのジュニアユースの同期には、工藤壮人(ブリスベン・ロアー)、武富孝介(京都サンガ)、指宿洋史(清水エスパルス)など、のちにプロへ進む選手が9名も在籍していた。身長160cmほどだった当時の酒井は、ストライカーから右サイドアタッカーに居場所を変えたものの出番に恵まれず、右SBへ転向した。
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