ゴン中山、野人・岡野だけじゃない。輝きを放った「スーパーサブ」10人 (2ページ目)
面目躍如の舞台は、1998年フランスW杯アジア最終予選の第3代表決定戦、対イラン戦だった。予選途中で加茂監督からバトンを受けた岡田武史監督が、それまで最終予選での出場がなかった岡野を、2−2で迎えた延長戦で抜擢。すると岡野は、何度もチャンスを逃した末に、延長後半118分、W杯初出場につながるゴールデンゴールを決めたのである。
結局、岡野が代表で決めたゴールはこれが最後となったわけだが、それでも多くのファンの間で「岡野=スーパーサブ」というイメージが定着しているのは、日本列島が熱狂した歴史的名勝負で劇的なゴールを決めたからにほかならない。
日本が初めてW杯のピッチに立った1998年フランス大会では、その前年にブラジルから帰化して代表に加わった呂比須ワグナーが、スーパーサブとして全3試合に出場した。
そもそも代表デビューを果たした最終予選のホームでの韓国戦以降、呂比須はレギュラーの座を獲得していた。だが、本大会に向けたチーム作りのなかで、岡田監督は城彰二をFWのファーストチョイスとして固定。それによってフランスでは控えに回ることになった呂比須だが、3戦目のジャマイカ戦では中山のゴールをアシストするなど、スーパーサブとして爪痕を残している。
フィリップ・トルシエ監督時代のスーパーサブといえば、本山雅志の存在が浮上する。
本山がスーパーサブとして最初にクローズアップされたのは、U−23日本代表。高原直泰、柳沢敦、中村俊輔、中田英寿といった錚々たる攻撃陣を擁するチームで、トルシエ監督は本山をスーパーサブとして起用。シドニーで行なわれた五輪本大会でも、得意のドリブルを武器に試合の流れを変える役割を託され、グループリーグ3試合に途中出場した。
その後、所属の鹿島アントラーズでもスーパーサブとしてタイトル獲得に貢献した本山は、なかなか定着できなかったA代表でも、ジーコ監督時代の2004年アジアカップでスーパーサブとして活躍。大会連覇に貢献している。
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