「久保建英よりも、小野伸二」。中田浩二が「奇跡的」と語る黄金世代 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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 中田の言葉にあるように、小野をはじめ、遠藤保仁、稲本、本山、南雄太もまだ現役でプレーしている。彼らが出会ったのは高校時代で、ナイジェリアワールドユースからは20年の時間が経っている。

 中田にとって、彼らはどういう存在だったのだろうか。

「いい仲間であり、いいライバルでしたね。鹿島では満男、ソガ(曽ヶ端準)、モト、それに伸二やイナ、みんなに引っ張ってもらった。みんなについていくことに必死になって、無我夢中でやっていたら、自分が思っていた以上のキャリアを残すことができた。そこは仲間のみんなに感謝しかないです。これからも常に刺激し合い、競い合う関係でいたいと思っています」

 鹿島で現役を引退したあと、中田はチームに残り、クラブ・リレーションズ・オフィサーに就任した。鹿島での仕事だけにとどまらず、メディアなどの出演も増え、チームとメディアをうまく両立させながら仕事をしている。

 これから中田は何を目指していくのだろうか。

「今は、現場よりも経営者になりたいなと思っています。これから日本サッカーの質を上げていくために、W杯を経験した人が監督やコーチになり、そこで見たものを還元していくのはいいことだと思うけど、それだけじゃないと思うんですよ。今、野々村(芳和)さんが社長になって札幌が大きく変わったり、モリシ(森島寛晃)さんが社長になったり。そういう人が増えていくことで、日本のサッカーがもっと変わっていくと思うんです」

 中田の言葉どおり、同世代の選手を含め引退したサッカー選手は、指導者の道に進むケースが圧倒的に多い。だが、クラブの方向性や未来を決めていくのはフロントだ。中田は、その経営サイドに立って日本サッカーの発展に貢献したいという。

「欧州では現場だけではなく、経営も引退した選手がやっているじゃないですか。そういうところに僕は挑戦したいし、自分が道を開いていきたい。社長が先頭に立って常に優勝を狙いつつ、工夫して、競争しながらレベルアップしていけば、日本サッカーの質が上がる。そうしていけば、FIFAの国際大会で僕ら以上の成績を出すところに行きつくと思います」

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