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「久保建英よりも、小野伸二」。
中田浩二が「奇跡的」と語る黄金世代

  • 佐藤 俊●取材・構成 text by Sato Shun
  • 高橋 学●撮影 photo by Takahashi Manabu

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世界2位の快挙から20年......
今だから語る「黄金世代」の実態
第9回:中田浩二(3)

 1999年のFIFAワールドユース(現在のU-20W杯)・ナイジェリア大会で準優勝を果たし、2002年日韓W杯でベスト16進出を果たしたフィリップ・トルシエ監督は、05年1月、"フラット3"の体現者のひとりであった中田浩二を、当時指揮していたマルセイユに「助っ人」として獲得した。

 そこには、中田への強い信頼感が見て取れる。

1999年ワールドユースでプレーする中田浩二 photo by Yanagawa Go1999年ワールドユースでプレーする中田浩二 photo by Yanagawa Go

 当時、海外へ渡り活躍していた日本人選手は中盤の選手が多く、ディフェンダーとしての海外移籍は非常に稀だったのだ。

「ナイジェリアワールドユースから世界を意識し始めて、代理人をつけました。2年後に(小野)伸二、イナ(稲本潤一)、タカ(高原直泰)が海外に出ていって、自分も早く彼らに追いつきたい、追い越したいという気持ちが強かったです。05年にようやくマルセイユに移籍できましたけど、僕らの時は本当に海外移籍のハードルが高くて大変でした。今じゃ考えられないですけどね(苦笑)。伸二たちが海外に行って結果を出したからこそ、今の選手が海外に行きやすくなったのは間違いないと思います」

 中田はマルセイユに移籍後、06年1月にスイスのバーゼルに移籍した。07-08シーズンではリーグ優勝とスイスカップの2冠を達成し、08年に鹿島に復帰。その後も鹿島でプレーしつづけ、14年に現役を引退した。

「もう少しやりたい気持ちはありましたよ。現役を続けている選手がうらやましいし、先にやめる悔しさもあった。でも、それがめちゃくちゃ大きいかと言えばそうじゃない。僕は、サッカー選手として自分が思い描いていた以上のキャリアを残せたし、他のチームに移籍するという選択肢もなかった。自分の中でやめるタイミングだなって思ってやめることができたので、そこは幸せだったなと思います」

 昨年、同じチームで苦楽を共にしてきた小笠原満男が引退した。鹿島の象徴たる選手がユニフォームを脱ぐ姿を見て、中田は「寂しい」と思ったという。

「まだできると思っていたんでね......。ただ、伸二やイナ、モト(本山雅志)はまだ現役でプレーしている。カテゴリーを変えながらもサッカーをやり続けているのは本当に尊敬ができるし、すごいこと。いつか終わりが来るけど、やれるまでがんばってほしい。僕は、あっさりやめたんで(苦笑)」

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