PKのサイド変更。15年前、宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由 (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 このとき、宮本は「ゾーンに入っていた」と言う。

 ゾーンとは、集中力が極限にまで高まっていることで、非常に高いパフォーマンスを発揮できる状態のことだ。現役時代、宮本は3回、その経験をしている。2002年6月9日、先発出場を果たした日韓共催W杯グループリーグ第2戦のロシア戦、2009年7月18日、Jリーグ第18節vs川崎フロンターレ戦でオーバーヘッドゴールを決めたとき、そして、このPKだった。

「(PKを蹴る際)すごく集中していました。練習では(ゴールの)右に蹴っていて、あまり決まらなかった。だからあのときは、(ボールへの)入り方を変えて、真ん中から(ゴールの)左を狙って蹴りました。

 決まったときは、うれしさよりもホッとした。自分が決めたら勝つ、という状況だったら、もっと違うテンションだったと思いますけど、まだ(後攻の)ヨルダンの選手が残っていたんでね」

 宮本はハーフライン上に戻るとき、ヨルダンの7番手を務めるキッカーの顔を見た。その表情はプレッシャーを感じているようで、非常に硬かった。

「(ヨルダンにしてみれば)『勝っただろう』という試合が、PKのサイド変更から雲行きが怪しくなった。ヨルダンの選手の動揺を感じたし、途中からは能活が(PKを)止めていたんで、(ヨルダンの7番手も)また止めるかなって思いました」

 宮本の期待どおり、川口は相手にプレッシャーをかけ、怯んだヨルダンの選手はPKをポストに当てた。

 その瞬間、選手が川口を取り囲んで、大きな歓喜の輪ができた。崖っぷちに立たされた状態から、日本は奇跡的に準決勝進出を決めたのである。

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