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PKのサイド変更。15年前、
宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

「(グループリーグ)3試合を戦って、ひとつも負けなかったので、ある程度は"やれる"自信を持っていました。それに、試合をこなすごとに重慶の反日感情がエスカレートしていったので......。

 バスを囲まれたり、罵声を浴びせられたり、あんなに感情をむき出しに(非難)されたのは、国際試合では初めてだった。だからこそ、あの雰囲気には『絶対に負けない』『勝って(罵声を)黙らせてやる』っていう気持ちで、ヨルダン戦に臨むことができた」

 しかし、"伏兵"ヨルダンに苦しめられた。

 ヨルダンは日本を研究して、4-3-3システムを採用。日本の攻守の生命線であるサイドを封じた。そして前半11分、先制点を奪われた。

 反日感情が高まる一方のスタジアムは大いに沸いたが、逆に日本の選手たちはそれで目を覚まし、3分後に鈴木隆行がゴールを決めて同点とした。ただ、その後はこう着状態が続いて、試合は1-1のまま終了しPK戦に持ち込まれた。

 先攻の日本の一番手は中村だった。

 チームでもっともPKがうまい選手である。中村はボールをセットすると、短い助走から右足を踏み込んで蹴ろうとした。その刹那、踏み込んだ芝がずれて、ボールはクロスバーを大きく越えていった。

 大事な1本目を外してうなだれる中村に、宮本は「顔を上げろ、俊輔」と声をかけた。そのとき、宮本の脳裏には、あるPKシーンが頭に浮かんでいた。

「俊輔が(PKを)外したとき、あのアジアカップの直前に開催された2004年のユーロで(イングランド代表の)ベッカムが足もとの悪いなか、(PKを)上に蹴って外したのを思い出したんですよ。2番目のアレ(中村と同じ左利きの三都主アレサンドロ)も同じように芝がずれて外す可能性がある。その際にはレフェリーに『フェアじゃない』と言いに行こうと思っていたら、やはり想像していたとおりになりました」

 中村に続いてPKを外した三都主が茫然としているなか、宮本はレフェリーにこう言った。

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