PKのサイド変更。15年前、宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由 (6ページ目)
絶体絶命のピンチに陥ったヨルダン戦を振り返る宮本
「あの勝利には興奮しましたね。悪い流れの試合を勝って、何とか重慶でのラウンドを乗り切れた。
この勝利の背景には、ベンチにいた(藤田)俊哉さん、(三浦)淳宏さん、マツ(松田直樹)とか、モチベーションを落とすことなく、チームのためにやってくれていた控え選手の存在がありました。力のある選手ばかりで、すごく心強かったし、その分(試合に出ている)オレらは『しっかりプレーしないと』という思いが強かった。
そこに、劇的な勝利が重なって、チームにポジティブな空気が生まれた。ここから、チームがどんどん変化していきました」
大会前、今ひとつまとまっていなかったチームは、徳俵に足がかかった状態からの逆転劇で息を吹き返し、急速なまとまりを見せ始めた。チームがひとつになるきっかけをつかんだのだ。
「ヨルダン戦の勝利が"劇薬"となって、チームに好影響を与えてくれた」
宮本は、この先も「イケる」という手応えを感じたと言う。
だが、次の準決勝、日本はさらなる試練にぶち当たる。
(つづく)
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