PKのサイド変更。15年前、
宮本恒靖が大胆な進言に至った本当の理由 (4ページ目)
前代未聞の決定に猛抗議をしたのは、ヨルダンだった。PKのいい流れを止められてしまうことに猛烈な危機感を抱いていた。その抗議はあまりにも激しく、ヨルダンのスタッフひとりが退場を命じられるほどだった。
「実はあのとき、(監督の)ジーコも怒っていたんですよ。『ふたり蹴ってから(サイドを)変更するはおかしいだろ』って。『このままやり続けろ』みたいなことを言っていたんですけど、『いや、違うサイドでやるから』と説得しました」
ペナルティースポットが変更され、さらに宮本はレフェリーに食い下がった。サイドを変更するなら、『初めからやり直してほしい』と直訴したのだ。
しかし、それは認められなかった。それでも、宮本の進言は功を奏した。
ヨルダンの2番手、3番手がきっちり決めるなか、日本も3番手の福西崇史、4番手の中田浩二が難なく決めて徐々に流れを引き戻していった。とはいえ、ヨルダンの4番手が決めれば、試合は決着する。日本にとっては絶体絶命のピンチだったが、川口がヨルダン4番手のPKを好セーブすると、俄然風向きは変わった。
「サイドが変わったら、能活の集中力が増していた。流れを変えたい一心でレフェリーに言ったけど、"何か"を変えることはできたのかなって思いましたね」
そして、日本の5番手・鈴木隆行が決めると、ヨルダンの5番手が外してPK戦はサドンデスに突入。日本は6番手の中澤佑二が外して再び追い込まれたが、相手の6番手のPKをまたも川口が右手で止めた。
日本の7番目のキッカーは、宮本だった。
「正直、自分のところまでは『回ってこないだろうな』って思っていました。でも、佑二が外して......。それで、自分に回ってきたんですけど、意外と冷静でした。ゴール裏では(反日感情を露わにした)中国人サポーターたちが騒いでいたけど、PKを蹴るときは(彼らも)視界から消えていた」
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