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前園真聖は確信。西野さんは
アトランタ五輪の悔しさを忘れてなかった (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 人気が出れば、アンチも増える。中傷や謂われない噂話が流れたり、自分の言葉をネガティブに取られたりすることも増えた。

 もう傷つきたくない――弱い自分を守るために、自らの露出と言葉を封じるしかなかった。

 前園は"硝子の心"を持ったキャプテンだったのだ。

 アトランタ五輪後、世間はブラジル戦での勝利を「マイアミの奇跡」と称賛。今なお、史上最大の番狂わせとして語り継がれている。

 そして、日本がブラジルと対戦する時、あるいは日本がジャイアントキリングを起こした時、「マイアミの奇跡」が必ず歴史から甦る。ロシアW杯でも、初戦のコロンビア戦で日本が勝つと「サランクスの奇跡」と称され、「マイアミの奇跡」も例に挙げられて、もてはやされた。

 そんな「マイアミの奇跡」の恩恵を、前園自身が本当の意味で受けたのは引退し、深酒して"事件"を起こしたあとのことだ。

「正直、現役の時は『マイアミの奇跡』のことばかり言われるのは嫌だったし、引退したあとも『またその話かよ』って感じだった。でも、"お酒の事件"ですべてを失って、声をかけてもらうことの大事さ、必要とされることのありがたさを身にしみて実感した。アトランタ五輪でも何でも(自分のことを)覚えていてもらって、声をかけてもらえるというのは、幸せなことだとわかったんです。

 それに、自分の実績を考えると、アトランタ五輪が"ピーク"なんですよ。俺はW杯にも出ていないし、海外でプレーしたと言っても、自分が納得して恵まれたところでやってきたわけじゃない。アトランタがなかったら、今の俺はいない。たぶん、サッカーに携わる仕事ができていないんじゃないかな。

 だから、"お酒の事件"以降、『マイアミの奇跡』のキャプテンという自分を、素直に受け入れられるようになったんです」

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