前園真聖は確信。西野さんはアトランタ五輪の悔しさを忘れてなかった (3ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

 ハンガリー戦は、常に相手に先行される苦しい展開だった。

 90分間が経過して、日本は1-2とリードされていた。残りはアディショナルタイムを残すのみだったが、そこから日本は怒涛の反撃を見せた。

 CKから途中出場の上村健一がヘディングでゴールを決めて同点。さらにその直後、伊東輝悦の右からのクロスに反応し、ゴール前に走り込んでいた前園が左足で決めて3-2と逆転勝ちした。

 結果、日本は2勝1敗、勝ち点6。普通なら、グループリーグを十分に突破できる成績である。

 だが、日本はナイジェリア戦での0-2という結果が大きく響いて、ブラジル、ナイジェリアと勝ち点で並びながら、得失点差でグループ3位に終わり、決勝トーナメントには進めなかった。

「2勝1敗で、上に行けない......。(ハンガリー戦が終わった瞬間は)もっとやれたんじゃないかって、その悔しさが大きかったし、このメンバーでもうサッカーができないんだ、という寂しさがあった。このチームは、海外遠征にもよく行って、活動期間も長かったから、特別な思い入れがあった。だから、あの日の夜は、みんなで飲みながら、いろんな話をした。

 ある合宿中、選手みんなで飲みに行ったことがあった。翌朝、練習前にみんなが集合すると、西野さんはそれに気づいているにもかかわらず、何も言わなかった。もちろん、ちゃんと練習はこなしていたからだろうけど、今だったら、即アウトでしょ。

 昔はおおらかな時代だったっていうのもあるけど、西野さんは大きな心で俺らを受け止めてくれていた。俺らはやんちゃだったけど、誰もが『世界に行く!』と強気だったし、肝が据わっていたしね。だからこそ、(1968年のメキシコ五輪から)28年も閉ざされていた扉を押し開けて、本大会でも2勝できたんだと思う」

 決勝トーナメントに進出し、メダル獲得という目標は達成できなかった。しかし、アトランタ五輪3試合は、前園のサッカー選手としての向上心を大きく刺激した。

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