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北澤豪が語る「あの事件」へのプロセス。
代表は暗く、沈んでいた... (5ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 佐野美樹●撮影 photo by Sano Miki

 不甲斐ない結果に終わり、フランスW杯出場が危うくなったことで、試合後、憤怒した一部のサポーターが選手バスの進路を塞(ふさ)ぎ、テレビ中継車の上からパイプ椅子を投げ入れた。それに対して、カズが激高するなどして、その日は荒れた一夜となった。

「あのときの国立、5万人のブーイングは今でも忘れられない。勝たなければいけない試合に引き分けてしまい、もう異様な雰囲気だった。それまで、サポーターはずっと日本代表を応援してきてくれたにもかかわらず、あの瞬間だけは敵に回った感があった。『あぁ~、日本にもこんな時代が来たのか』って思ったよ。

 でも、あれは個人的にはよかったと思っている。もう『勝てなくて申し訳ない』とか言っていられない。とにかく『やらないといけない』ということに(選手たちが)気づいた。あのブーイングがきっかけになって、選手は少し変わったね」

 続く相手は首位・韓国。試合は敵地ソウルで行なわれた。

 日本は中盤をひし形にして、勝負に出た。その甲斐もあって、日本は2-0で勝利。2位のUAEが勝ち点を伸ばせずにいる中、最終戦のカザフスタン戦も5-1で勝って、日本はプレーオフ進出の権利を得た。

「最後のカザフスタン戦は、カズさんと呂比須(ワグナー)が累積警告で出場停止となって、直前にゴンちゃん(中山雅史)がチームに入ってきた。あのとき、俺とゴンちゃんと高木ブー(高木琢也)の3人で『俺たちが(代表チームを)引っ張って、盛り上げていかないといけない』っていう話をしたのを覚えている。仲間が増えてうれしかったし、彼らが入ってきたことでチームが前向きで明るい雰囲気になった。空気が大きく変わったんだよね」

 日本代表は明るさと勢いを取り戻し、それが『ジョホールバルの歓喜』へとつながった。北澤は、4年前のリベンジを果たしたのである。

(北澤豪編・2回目につづく)

北澤豪(きたざわ・つよし)
1968年8月10日生まれ。東京都出身。修徳高→本田技研→読売クラブ→ヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)。ヴェルディ黄金時代のメンバー。「ダイナモ」の異名で日本代表でも長年活躍した。(財)日本サッカー協会理事

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