ホンジュラス戦大勝にも疑問符。アギーレ色はまだ半分 (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 結果至上主義、勝利至上主義。アギーレは、日本を覆うこのムードに、さっそく気付いたに違いない。ブラジルW杯後も、Jリーグで好調を維持する遠藤を起用すれば、ゲームは落ち着く。かなりの確率で勝利は期待できる。世の中の批判をひとまずかわすことができる。そう考えたとしても不思議はない。

 つまり、アギーレを少し弱気にさせた原因の一端は「我々」にある。多少強引に言えば、遠藤は、我々が遠回しに起用を望んだ選手と言えるのだ。

 9月、10月、11月に行なわれる6試合は、アジアカップのための準備試合と位置づけられている。では、アジアカップの位置づけは何なのか。W杯同様、日本の総力を挙げて臨むものなのか。ユーロに臨む欧州各国は、それにW杯と同等の価値を置く。4年に一度ではなく2年に一度、本番が訪れる。代表強化は2年、4年、6年、8年と、2年単位で進行する。大物選手の代表チーム引退も、それが節目になる。

 アジアカップをどう捉えるか。大物選手が代表を引退する時期は、それに呼応する。W杯同様「本番」と位置づけるのか。その優勝チームに与えられるコンフェデレーションズ杯出場に大きな価値を求めようとするなら、アジアカップが「節目」になっても構わない。

 遠藤を選ぶ、選ばないは、そうした根本的な話と深く関わる問題だ。そしてそれは、アギーレが判断するべきものではない。日本サッカー協会が判断することだ。その責任者は、アギーレを招聘した中心人物でもある原博実専務理事になるが、彼は最近あまり表に出てこない。サポートする態勢は弱いように見える。アギーレに批判が直に向く仕組みになっている。 

 遠藤の件で、アギーレが責められるとすれば、アジアカップ後も代表に招集した場合だ。2018年から逆算してものを考えた時、これには大義名分がない。

 ホンジュラス戦。とはいえ、アギーレは遠藤を最後までは使わなかった。長谷部についても同様。それぞれ後半の途中、ベンチに下げている。従来の有力選手である柴崎岳、田口泰士をしっかりピッチに立たせている。次戦、豪州戦のスタメンはこれにより、いい意味で不透明になった。

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