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澤穂希が切り開いた世界一への道。「ひとつひとつ積み上げてきた」 (3ページ目)

  • 早草紀子●文 text by Hayakusa Noriko
  • photo by Enrico Calderoni/AFLO SPORT

 その後、1999年のアメリカW杯ではグループリーグ敗退。「あのときなんて3試合で日本は1ゴールしか挙げられなかった」と今では笑い話にする澤だが、当時は不足しているすべての要素に対して苛立ち、またそれをどこにもぶつけられずに焦りだけが募っているように見えた。

 確かなのは「このままではダメだ!」(澤)ということだった。その翌年、澤は単身アメリカへ渡り、世界の“強さ”の中に自ら飛び込んでいったのである。当時まだ21歳。親元を離れ、異国の地でホームシックと戦い、そして世界屈指の選手たちと凌ぎを削る日々の中で、サッカーへの情熱はますます高まった。

 アメリカでも中心選手として活躍する澤の存在はまさに日本の柱となっていった。すべては澤自身が切り開いてきた道だった。

 2003年には日テレ・ベレーザに復帰。その後2004年アテネ五輪でベスト8、2008年北京五輪でベスト4、2011年ドイツW杯で悲願の世界一。

「ホントひとつひとつ積み上げてきたよね……」。W杯を終えてしばらくしたとき、澤はポツリと言った。その積み上げてきたものが今、世界に認められたのだ。

「私にはチーム競技が向いていると思う。自分のミスをカバーしてもらったり、誰かのミスを自分がカバーできたり……。他にも、ピッチではいろんな力が生まれることを私は知っている。だからサッカーが好きなんです!」(澤)。

 そんな純粋な想いを持ち続けた少女が、今はしなやかな強さを携え、大人の女性として光り輝いている。世界最優秀女子選手。一歩一歩確実に歩みを重ね、今、澤は立つべきところへ立ったのだ。そして彼女は知っている。ここが新たなスタートであることを。

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