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【プロ野球】「優勝しても胴上げはしない」 選手たちが"嫌われ監督"を拒絶...それでも近藤貞雄が7度宙を舞った理由 (2ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

 もちろん、そのような指導法がよかったか悪かったかと問われれば、現代では容認されるものではない。当時であっても決して褒められたものではなく、谷沢をはじめ、比較的叱責を受けることの少なかった主力選手たちでさえ、嫌な思いをしていたという。

 それでも近藤にとっては、すべて勝つための手段だった。そしてそのやり方は、実際に1982年のリーグ優勝という結果につなげた。

「そうそう。あの頃の中日は、反発する選手がどんどん増えていったんですよ。だから、それぞれの個性が強く出るようになって、『野武士野球』なんて言われるようになった。宇野だけじゃない。田尾(安志)も平野(謙)もそうでした。コーチやスコアラーに何か言われても、素直には聞かない。そういう選手が多かったですね」

【主力選手が計画したまさかの反乱劇】

 近藤が掲げた「野武士野球」は、その土地ならではの気質に合った野球を目指すという持論に根ざしていた。すなわち、「戦国時代に信長、秀吉、家康を輩出した尾張・三河地方らしく、地方豪族が決起して天下を獲る。そんな攻撃的な野球をやろう」というもの。投手を中心とした守りの野球が全盛だったなか、攻撃野球は異端だった。

「ただ、近藤さんも黒江さんも嫌われていることに変わりないわけです。だから82年は9月の頭、広島遠征の時に選手たちでミーティング開いて、『優勝しても、胴上げしないでおこう』ってみんなで言って。居酒屋での飲み会で、主力選手だけでしたけど、ピッチャーもいましたよ。あの年は三沢(淳)が選手会長でしたから、号令かけてね」

 奇しくも同年のパ・リーグでは、監督を胴上げして落とすという計画を立てたチームがあった。筆者は当時の主力選手から、その話を聞いている。もちろん実行されることはなかったが、中日では胴上げ自体をしない計画があったのだ。それでも実際に優勝できたのは、選手同士がひとつにまとまったからだろうか。

「それはありましたよ。みんな同じ思いで、ひとつにまとまっていました。変なチームですよ(笑)。でも、そのあとには徹底的に練習をやったんです。黒江さんが『江川(卓)を打てなければ巨人には勝てない。うちに優勝はない』と言ってね。バッティングピッチャーには、マウンドより3メートル前から投げさせるんですよ。とにかく速いし、怖い。それでも『打て』と。私はバットを替えました」

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