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【プロ野球】「おまえはもう球威がない」 星野仙一を切った55歳の新人監督 谷沢健一が回想する中日を変えた"非情の改革" (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

「でも、その6月初めまでの戦いは、翌年につながったんですよ。『まとまれば、うちは上に行ける』という、自信のようなものがチームに生まれました。そして82年は、5月に勝ち始めて5連勝。6月の終わり頃にも4連勝、ひとつ負けてまた4連勝ですから。『去年はダメだったけど、今年はいけるんじゃないか』という予感がチームに漂っていました」

【功労者に対して非情の采配】

 81年途中に抑えから先発へ回り、82年は開幕投手を務めた小松が、右足の故障で4月から長期離脱する誤算もあった。それでも、都、三沢に加え、来日2年目の郭源治が先発として台頭。さらに、抑え失敗を機に先発へ転向した鈴木も結果を残した。

 一方で、空席となった抑えには牛島がはまり、投手陣は着実に厚みを増していった。そのなかでも、谷沢が印象的だったという「ピッチャーに対する厳しさ」はあったのか。

「一番は星野さんですよ。その年は6月末くらいまでローテーションに入っていたんですが、突然、外されたんです。『おまえはもう球威がないから外す』と言われて。それで星野さんも、『もう終わりだな』という感じで、引退を決めたような感じでしたからね。力が衰えれば、すぐに代えていく。それが近藤さんでした。キャッチャーの木俣(達彦)さんもそうです。中尾(孝義)に代えちゃいましたからね」

 6月30日の、ナゴヤ球場での巨人戦。星野は4対2とリードした9回一死から、淡口憲治に同点2ランを浴びた。延長10回は牛島が抑えて引き分けたが、近藤は試合後、継投の遅れを認めつつ、「今日の試合は星野に預けたのだ。次からは非情に徹する」と記者に言った。

 その言葉どおり、以降の星野は救援で8試合に登板しただけで、10月12日の阪神戦が現役最後のマウンドとなった。プロ14年目、35歳だった。

 強打の正捕手として長年チームを支えてきた木俣も、36歳を迎え、守備面で衰えが見え始めていた。1980年のドラフトで、中日がプリンスホテルの中尾孝義を1位指名した背景には、近藤の強い意向があった。

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