【プロ野球】石毛宏典が振り返る、黄金時代の西武投手陣を支えた右腕 ソウル五輪で活躍した石井丈裕は「どんな状況でも、堂々としていた」 (2ページ目)
【ピンチでも堂々としていた】
――当時の西武の先発ピッチャー陣は、他球団であればエース級のピッチャーが多かったと思います。そのなかで、石井さんはどんなタイプでしたか?
石毛 あくまで自分から見た印象ですが、ナベちゃんや泰源、智男は力で押していくタイプ。もちろん、変化球でかわすこともありましたけどね。一方で、たけちゃんの場合はコントロールがよく、コーナーワークで勝負するタイプだと見ていました。飛び抜けて速いボールを投げていた印象もなかったですし、そういう意味では、広島にいた北別府学っぽい感じかな......。まぁ、北別府みたいにのらりくらりとかわしていく、というタイプでもないのですが、近いタイプだとは思います。
――石井さんは与四球率が低いのも特徴でしたね。沢村賞を獲得した1992年は与四球率1.70(9イニングあたり)でした。
石毛 フォアボールを多く出すなどして球数が多いと、守備のリズムが悪くなるのですが、たけちゃんはその心配がないので守りやすかったですよ。たけちゃんが西武に入団した時にはチームにいなかったのですが、小野和幸(1981年~1987年に西武に在籍。1987年オフに平野謙と交換トレードで中日に移籍)が投げる時は球数が多くて(笑)。
小野はカウントがスリーツーになったり、フォアボールを出すことが多かったので、マウンドに行って「早くストライクを放らんか!」と喝を入れたこともありましたね。まぁ、ストライクかボールなのかというのは審判との相性もあるんでしょう。たけちゃんがコントロールがいいというのは、審判も同じような印象だったんじゃないでしょうか。
――ちなみに小野さんは、中日に移籍して1年目で18勝を挙げ、最多勝を獲りました。
石毛 小野もそうだし、西武に来た謙ちゃん(平野氏の愛称)も大活躍しましたから、大成功のトレードでしたよね。
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