西武黄金時代を支えた辻発彦が語るレジェンド監督の知られざるエピソード 森祇晶、野村克也、落合博満との日々 (3ページ目)
【コーチとしてともに戦った落合博満】
上重 続いては引退後、中日ドラゴンズでコーチをされていましたが、その時の落合博満監督はどんな監督でしたか?
辻 落合監督は、本当に厳しいというか妥協しない監督でしたね。2007年に2軍監督で呼ばれて勉強させてもらったんですけど、シーズンが終わって、秋季練習で紅白戦をやったりすると、負けたチームに罰走があったりして40周ぐらい走んなきゃいけないわけですよ。そうすると、秋だから暗くなるのも早くて真っ暗なんです。「もういいよ」と言うかなと思いきや、最後までそれを見届けていましたね。春先のキャンプもそうでした。
上重 それだけやらないと強くならないという信念があったんですかね。
辻 強くするためには絶対に必要でしょうね。ある程度完成された選手のいるチームと、これから成長していくチームがあるので、後者のチームなら落合さんは最適じゃないですかね。
上重 そういった部分も、のちに辻さんが監督をされる時に生かされましたか?
辻 生きましたね。いろんな監督と一緒にやりましたけど、人間すべてがパーフェクトではないので、それは自分の物差しで判断していました。だから、自分が嫌だったことはやらず、いいとこ取りで考えていました。
上重 落合さんとは、今も付き合いはありますか?
辻 そうですね。講演会で一緒になったりしますけど、相変わらずですね(笑)。
【Profile】
辻発彦(つじ・はつひこ)/1958年10月24日、佐賀県出身。1983年にドラフト2位で西武ライオンズに入団。16年間の現役時代で複数のゴールデングラブ賞やベストナインを受賞。2017年より2022年まで6年間、西武ライオンズ監督を務めた。現在は野球解説者として活動している。
上重聡(かみしげ・さとし)/1980年5月2日生まれ、大阪府出身。PL学園時代にエースとして活躍。立教大では東京六大学リーグで史上ふたり目の完全試合を達成。卒業後の2003年にアナウンサーとして日本テレビに入社。2024年3月末をもって同社を退社し、現在はフリーアナウンサーとして活動している。

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