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西武黄金時代を支えた辻発彦が語るレジェンド監督の知られざるエピソード 森祇晶、野村克也、落合博満との日々 (2ページ目)

【野村監督との出会い】

上重 そして、1996年からはヤクルトスワローズに行くわけなんですが、今度は野村克也監督ですね。野村さんはどんな監督でしたか?

 西武を退団する時に、自由契約でどうなるか不安なところで、森監督が野村監督に連絡してくれて、「辻が来てくれるなら喜んで」ということで、入団することになったんです。ヤクルトはセ・リーグですし、全然違ったので新鮮でしたね。

上重 当時、金額的にもっといい条件を提示していた球団もあったと聞きましたが、野村さんと一緒にやってみたいというのがあったんですか?

 (自由契約になって)最初に話をしたのがヤクルトだったのもあるし、森監督の口利きもあったので即答でしたね。野村さんについては、いろいろと聞いていたので怖いなと思っていましたけど、そういうところで勉強もするのもいいなと思って入りました。ただ、1年目から試合に使っていただけたのは、びっくりしましたね。

上重 いわゆる野村監督の長いミーティングにも参加されていたんですか?

 もちろん。毎日、若い選手たちと一緒に3ページ、4ページとノートに書いていましたよ。

上重 「辻はベテランだから免除」みたいなことはなかったですか?

 ないですね。当時37歳くらいだったかな。

上重 ヤクルト移籍1年目から、打率が3割を超えていましたよね。

 それはもう頑張りましたよ。これは使っていただいたからこそ、あそこまでなれたと思うんですけど、「俺はまだできるんだ」っていうことを示したかったのもありました。活躍できて野村さんにも恩返しできたかなと思っているんですけどね。

上重 野村さんの配球の読みとか、そういうことが生かされる部分はありましたか?

 野村さんの野球はデータじゃないですか。変化球でもストレートでも対応できるバッターがベストですが、そこまでいかない選手は球種を読むとか、コースを読むことが必要ですよね。野村さんがそういう選手にアドバイスをするとそれが当たるんです。でも、僕にはアドバイスをくれませんでした(笑)。

 だから、なぜくれないのか聞いたら、「お前はそんなバッターじゃねえだろ」って言われて......。ある程度認めてもらえているのかな、という感じはしましたね。

 野村さんは、いろんな球団を渡り歩いて45歳まで現役を続けたからこそ、(長く続けている選手の)気持ちがすごくわかるんだろうなと。僕も40歳ぐらいの時に、そろそろ引退じゃないかって記事が出たり、言われたりもしていたんですが、その時、野村さんに記者の方が「辻もそろそろ年齢的に......」と言ったら「バカやろう」って話になったらしいんです。「ここまでプロ野球界で頑張ってくれた選手に対して、俺がいつユニホームを脱げとか言えるわけねえだろ」って言われたことを、記者の方々から聞いた時はうれしかったですね。

上重 実績や経験に対して敬意を払って、『引退』というところは、本人が決めるべきだろうっていうのを野村さんが言ってくださったんですね。

 そうですね。

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