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【インタビュー】リーグ連覇からの苦悩の3年 髙津臣吾が明かす「ヤクルトで起きていたことのすべて」 (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

監督時代は気が休まる瞬間などなかったと語った髙津臣吾氏 photo by Kai Keijiro監督時代は気が休まる瞬間などなかったと語った髙津臣吾氏 photo by Kai Keijiroこの記事に関連する写真を見る── その数日後、「まだ悔しいね」という言葉とともに、若手の底上げを大きなテーマに掲げて、松山(愛媛)での秋季キャンプがスタートしました。ここから、3年にわたる苦しい戦いが始まることになります。

髙津 うーん、そうですね......。いちばんは、若い選手を育てきれなかったという点に尽きると思います。それは間違いなく、我々指導陣の責任です。新しい選手は次々と入ってくるわけですから、その選手たちをしっかり成長させてあげることができなかった。そこが最大の反省点であり、責任を感じているところです。

── 悪い流れが続くように、ここ数年は選手たちのケガが絶えませんでした。

髙津 原因はいろいろあると思います。本来であれば、僕がもっとしっかり選手を管理し、マネジメントして見ておくべきだったのでしょうが、突発的なアクシデントのようなケガも多かったんです。どれだけ注意を払ってケアをしていても、目を光らせていても、起きてしまうケガというのは防ぎきれないものなんだなというのが、今の正直な感想ですね。

── 理想とする打線や投手起用がままならないなかで、データとにらめっこしながら、そしてこれまでの経験から得た知恵をもとに、最適な打順を探り、選手たちの適材適所を模索していました。

髙津 もちろん、人が関わることですから、コーチや選手、そしてファンの方々にもいろいろな考えや意見があったと思います。もしかしたら、もっといい方法があったのかもしれません。それでも自分としては、その時々でできる限りのベストを尽くしてきたつもりです。だから、後悔はありません。

【気が休まる時は一度もなかった】

── 6年間見させていただて、やはり「我慢の監督」という印象があります。1年目には、雄平選手(現・楽天二軍打撃コーチ)がオープン戦で44打席ノーヒットという苦しい状況でも、「リスクを背負ってでも、辛抱強く起用し続ければ、その先に何かが見えてくる気がするんです。これは我慢比べですよ(笑)」と話し、起用を続けました。

髙津 あの時は、「雄平を開幕スタメンで絶対に使う」と最初から決めていたんです。どこかでヒットが出るだろうと思って使い続けていたんですが......まったく打たなかったですね(笑)。

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