大胸筋断裂、62打席無安打... 西武・西川愛也が苦難を乗り越えつかんだ「プロ8年目の開花」 (2ページ目)
西川がこの重傷を負ったのは、花咲徳栄高校2年時の春季大会決勝だった。
「その前から軽い肉離れみたいな感じでした。外野からカットマンまでしか投げられない感じだったんですけど、ボールが飛んできて......。たしか同点のツーアウト二塁で飛んできて、アドレナリンが出て思い切り投げちゃったんですね。そうしたら、パチンって雷が走りました」
体内に雷が走るような痛みとは、とても想像できない。言葉にすれば、激痛となるのだろうか。
「いや、マジでやばかったです。死にそうな痛さっていうか。もう野球人生、終わったなと思いました。『高校野球、マネージャーだ』と思って(苦笑)」
【プロに行くために手術を延期】
西川は中学までを過ごした大阪から埼玉県の花咲徳栄に出てきて、高校野球はあと1年以上残されている。すぐに手術を受ければ高校3年の夏までに治る可能性もあったが、希望の進路を見据えると、その決断は下しにくかったと振り返る。
「すぐに手術を受けると2年の夏は完全になくなってしまうし、プロに行くためには2年生の頃から結果を出さなければと思っていたので。岩井(隆)監督と話して、2年の秋が終わってから手術という形になりました。普通だったら断裂した時点でベンチにも入れないと思ったけど、高校の監督がそれでも使ってくれたのは感謝しかないですね」
高校2年の夏は「カットマンまで投げるのもかなり痛かった」が、甲子園に出場。秋の大会が終わったあとの11月、ようやく患部にメスを入れた。
高校3年になっても送球を満足にできるまでには回復していなかったが、夏の甲子園では大会通算9安打、10打点の活躍で花咲徳栄を埼玉県勢初の優勝に導く。
そして秋、ある球団のスカウトも「2位でほしかった」というなか、西武が先に交渉権を獲得した。
高校2年生で大きな決断を下してプロ入りをかなえ、西川はどう感じたのだろうか。
「あの時に手術しなくてよかったなというか。そのままやり続けてよかったなというのはありますね」
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