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渡辺久信が驚愕した3人の好打者 「空振りした時の音がマウンドまで...」「通用した唯一のボールはスッポ抜けだけ」 (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── 野球スタイルについてはどうでしたか?

渡辺 冗談はともかく、森監督の時代は戦力が充実していたので、それをうまく使いこなして、リードを守り切る「手堅い野球」。その戦い方はじつにオーソドックスでした。野村監督のヤクルト時代は選手層が厚いとは言えず、いわば「弱者の戦法」でした。野村監督は多彩な作戦や奇襲を駆使して、マスコミも巧みに利用する戦い方でした。

── パ・リーグとセ・リーグで、投手として感じた違いはありましたか?

渡辺 パ・リーグはDH制があるので、本当の意味で打者が1人多く、球場も広い。だから、パ・リーグの投手は基本的に「力」で勝負します。2ボールになると高めのストレートで押すことが多い。広い球場なので本塁打にもなりにくいですし、投手を交代させにくい環境なので、先発が長いイニングを投げて育つ土壌があります。対して打者も、それを打とうとして成長していく。

── セ・パ交流戦が始まったころ(2005年)には、パ・リーグの打者の打球音が圧倒的だったと言われています。

渡辺 そうですね。セ・リーグは狭い球場が多く、変化球主体でかわす投球が多い。そのため、打者が真っ向勝負に慣れていない印象があります。セ・リーグでは勝負どころで投手に打順が回ってくるので、先発が交代させられやすく、結果としてリリーフ投手が育ちやすい。一方で、捕手のリードは緻密で、変化球主体の野球でした。最近では、セ・パの野球の違いもだいぶなくなってきたと感じます。

後編につづく>>

渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)/1965年8月2日、群馬県出身。前橋工高から83年のドラフトで西武から1位指名を受け入団。2年目に8勝11セーブを挙げ、リーグ優勝に貢献。86年には最多勝、最高勝率、最多奪三振のタイトルを獲得するなど、西武黄金時代の中心投手として活躍。98年、ヤクルトへ移籍。99年から2001年は台湾・勇士隊で選手兼コーチとしてプレー。引退後は解説者を務め、04年から西武二軍コーチ、05年は二軍監督を兼任し、07年は二軍監督専任。08年に一軍監督に昇格し、就任1年目で日本一に導く。13年限りで退任し、シニアディレクターに。19年からGMとなり、昨年は5月28日から監督代行を兼任し、チームの指揮を執ったが、シーズン終了後に退団

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著者プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

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