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渡辺久信が驚愕した3人の好打者 「空振りした時の音がマウンドまで...」「通用した唯一のボールはスッポ抜けだけ」 (2ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── 最後のひとりは誰ですか?

渡辺 なんだかんだ言って、やはりイチロー(オリックスほか)が一番すごかったと思います。彼が高卒1年目のルーキーの時に何度か対戦し、抑えたのですが「この新人はほかの打者と感性が違う」と感じました。だから「来年はレギュラーを獲るだろう」と思っていたのですが、2年目はあまり出場機会がなかったので、どうしたのかなと。ですが、仰木彬監督が就任した1994年にブレイクし、もう手がつけられない打者になっていました。1994年から2000年まで、7年連続で首位打者を獲得。私は1997年まで対戦しました。

── 実際にイチロー選手と対戦して、どのあたりがすごいと感じましたか。

渡辺 どこに投げても打たれてしまう。唯一ヒットを打たれなかったのが、私がノーヒット・ノーランを達成した1996年の試合くらいです(笑)。三遊間や二塁前のボテボテのゴロでさえ内野安打になる。抑えられるゾーンがとにかく少ない打者でした。

── イチロー選手と対戦する時、有効な攻めはあったのですか。

渡辺 緩いカーブを投げてファウルフライに打ち取ったことがあり、その次の打席も同じ球を投げたらホームランにされました。一度投げた球の軌道をしっかり頭にインプットしてしまうんですね。通用した唯一のボールは、コントロールミスの"スッポ抜けの球"くらいですかね(苦笑)。

【ヤクルト移籍を決めた理由】

── 1997年限りで西武を自由契約となり、ダイエー(現・ソフトバンク)から誘いがあったとか。

渡辺 はい。でも私は野村克也監督の「ID野球」を体験してみたくて、ヤクルトへの移籍を選びました。

── 1992年と1993年の日本シリーズでは、西武とヤクルトが死闘を繰り広げました。捕手出身の森祇晶監督と野村監督の違いは?

渡辺 森監督は細かいことはあまり言わず、選手に任せてくれるタイプでした。ただ、結果が出ないと、選手に対して「チクチク」と言うこともありましたけど。一方の野村監督は選手にはあまり言わず、マスコミを通して「チクチク」と言ってくるタイプでした(笑)。

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