今江敏晃にプロでやっていける自信を植え付けた「PL学園の竹バット」と「センター返し」 (3ページ目)
── その後もさらなる飛躍を遂げましたが、ターニングポイントはどこだったと思いまますか。
今江 2006年の3月に開催された第1回WBCで、トップ・オブ・トップの代表メンバーに選んでいただき、試合に出していただいたことです。プロで活躍したのは前年の1年だっただけに、1球の重さ、難しさ、そして野球の楽しさをあらためて突き詰めていかなければと痛感した真剣勝負でした。
【強打の三塁手への憧れ】
── ホセ・フェルナンデス選手が2004年から西武に移籍したのに伴いサードを守っていましたが、高校時代のショートを守りたいとは思わなかったですか。
今江 プロ初スタメンはショートだったのですが、当時のロッテのショートには名手の小坂誠さんがいました。それは別として、当時は近鉄の中村紀洋さんのような華やかな強打の三塁手がいて、自分としては「三塁手で輝きたい」と強く思い始めていました。
── サードで難しいプレーはどんなところですか。
今江 ショートは打者のミートポイントが見えますが、サードは角度的に見えづらいので、打球への反応が難しい。だから故意に一歩目を遅らせたりします。三塁線の逆シングル捕球も大変です。それにサードは、バント処理の際に前進して捕球し一塁へ投げると、角度がなく、送球がシュート回転してしまうと打者走者に当たってしまいます。
── 今江さんは高校通算30本塁打のスラッガーでした。ただプロ入り後は、シーズン最多本塁打は2008年の12本です。その代わり、二塁打はプロ通算330本もありました。
今江 高校時代はスカウトにアピールするために、強い打球を遠くに飛ばそうと考えていました。しかしプロの投手は、コースギリギリを狙ってきますし、変化球のキレもいい。内角は見せ球が多く、外角球の勝負が基本です。外角球を狙って本塁打を打てるならいいですが、引っかけて凡打に終わってしまうことが多くあります。
ならば、外角の球を右方向に打って野手の間を抜く、チャンスに強い打撃を目指すほうが得策ではないかと考えて練習を重ねました。その結果、ミートポイントをより手元まで引きつけられるようなりなり、ヒットの延長として二塁打が増えました。
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